金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

令和3年敬愛修行会の感想その15  善龍庵

 

 

大森先生
いつもありがとうございます。


先月の敬愛修行会もありがとうございました。
初めての敬愛修行会でしたが、次第を頂いてから結願までの約2週間の修行で感じたことは、この修行は滅罪会と表裏一体だ、ということでした。

 

滅罪会での懺悔と敬愛修行会の敬愛和合の根底にあるものが同じだと途中で強く感じ出しました。

 


 だからでしょうか、時には敬愛という言葉からかけ離れた滅罪会の時のようなザワザワとした感情も多々現れました。そして最後に梵字に集中してご真言を唱えている時に心臓あたりがポカポカと温かくなっていくように感じてきました。

 

この修行は滅罪会と一体なんだなあ、これからも一緒に取り組んでいくんだと改めて思いました。あと、この修行会では気になる人がホントによく夢に出てきました。
ありがとうございました。

 

 

5月滅罪会のご案内

5月17日から三日間滅罪会を行います。

申し込み締め切りは5月13日までです。

今回から修行が許可制になっておりますので下記リンクをご参照ください。

 


令和3年5月滅罪会のご案内 - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

 


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千葉妙見尊星殿

この分では

news.yahoo.co.jp

この分ではまずまず非常事態宣言は続きそうと思う人は少なくないと思います。

或いは逆に一転効果なしで撤廃か?

効果的に減らないのは感染に追いつけないのだと思いますね。

ま、それは誰が悪いのでもないけど・・・

あるいはオリンピックありきで考えたら解除するかもしれません。

どうも・・・・国民よりオリンピックの方が大事のように見えますな。

ま、確かに開催すれば自宅にこもっている人への大きなプレゼントだとは思うけど・・・

非常時にリスク犯してまですることじゃない。

世の中には籠りたくても籠れない人もいますから。

施餓鬼供養の功徳その118   善龍庵

 

 

 
善龍庵 大森義成先生

 

いつもお世話になります。

施餓鬼供養をお願い致したく申込みをします。

 

少し長くなるのですが、今まで施餓鬼供養や春の彼岸会をさせて頂いた中で最も不思議なことがありましたのでご報告させてください。

 

私は離婚した相手のお家の施餓鬼供養を何回かお願いさせて頂きましたが、今回、あー、本当にご先祖様への感謝は大切なんだなと思うことがありました。

 

私の元夫は○○○○○の僧侶です。もともと温和な人柄ですが、なんの苦労もなく努力もせず、ただただ何百年と続いた寺を世襲として継いだだけの人でした。

 

結婚してから知った気のない法事や職務のあり方に私はあきれ悲しくなりました。葬儀の時に御門徒さんから戒名の意味を聞かれても父親がつけたから分かりませんと言うような具合でした。

 

私や子どもに対しても一見優しいと言えば優しいのですが、それは世間体や自分をよく見せようとするものであって、私や子どものことを何一つ見ているわけではないことがだんだん分かってきました。

 

彼は今まで人に対しても物事に対しても一生懸命に向き合ったことが全くなかったのです。

ですので、別居後しばらくして忙しさを理由に子どもに会いに来なくなったときも、子どもはまだ幼児だということもありますが父親が来なくなったことに気づくこともありませんでした。子どもも父親として認知していなかったんだと思います。

 

そんな彼は、離婚した当初、子どもとの月一回の面会交流に遅れてきても挨拶もなく、目も合わさずにふてくされている様子で私はこの人は離婚してもまだ大切なことに気づかないのだろうか?と思っていました。

 

いろいろなことがあって私も随分苦しみましたので怒りも大きかったのですが、離婚することがこの人にとって最大限の私のしてあげられることだとも思っていました。これで人として大切なことに気づけないようであれば、そこまでの人なんだと思っていました。

 

ただ、大森先生や羽田先生のブログ、施餓鬼供養をされている方々のお話を読んでいるうちに、自分自身怒りをもったままではいつまでも苦しいままであることや彼にもいいところがあったこと、そして何より子どもの命を授かったことを感謝したいと思えるようになり、彼のお家の施餓鬼供養をさせて頂きました。

 

すると昨年年末頃から彼の表情が変わってきました。それでも最初は私も警戒して必要最低限のことしか話さなかったのですが、今年に入ってから子どものことで話すことがありました。すると自分は本当に今までひどかったと、そして私にすごく感謝をしていると話してくれました。

 

よくよく話を聞くとある方達との新しい出会いによって感謝をすることの大切さに気がついたとのことでした。

 

その中のお一人が話すことが私が彼に再三話してきたことと似ており、いろんなことが腑に落ちて周りに感謝をし始めたら不思議なことが起こり始めたということでした。

 

ご先祖様や周りの方々に感謝をすることを人生も大台になろうかという僧侶がやっと気づいたのかとお笑いになるかもしれませんが、高い塀の中で世間から敷居が高いと言われるような環境で育った彼には本当に大きな気づきの一歩だと思います。

 

しかも再三私が口をすっぱくして話していても伝わらなかったことが、やっと伝わり気づき始めてくれたのかと思うと彼が新しく出会った方達とのご縁はきっとご先祖様のお陰なんだなと大変ありがたく感じられました。

 

周りから見ればまだまだひよっこですが、今までは親任せであった職務も自分主導で少しずつ励んでいるとのことでした。

 

そして子どもに対しても接し方が明るくなったお陰か、最近では子どもも父親に会えることを楽しみにするようになってきました。

 

最近では子どもの話や世間話も普通に出来るようになり、子どものことにも見返りを求めるつもりはなくただ協力したいと申し出てくれました。また、私の身体のことも気遣ってくれたりと一気に彼の心の成長が始まったような様子です。

 

また彼自身、時々、私の家のお墓参りもしていてくれたとのことでした。本当にありがたいことです。

 

これらの話を聞いてご先祖様が彼を導いてくれたのだと思いました。

 

そして私自身もご先祖様に導かれたのだと思いました。彼に対して怒りだけで終わらずにまた感謝できるように思えるようになったことはお導きだと思います。

 

復縁は考えられませんが、子どもを通して新しい家族のかたちになれたのかもしれないと思えました。

 

「ご先祖様が安らかでありますように、生きとし生けるものが安らかでありますように」

毎日の感謝行の中でこの言葉のありがたさ、寛容さを感じます。

 

私が思う以上に私たちとご先祖様との繋がりは深いということも今回改めて教えて頂きました。

 

大森先生や羽田先生、共に行に励まれる方々に感謝です。

 

皆様に出会えていなかったら、私はまだ苦しんでいたと思います。

本当にありがとうございます。

 

そこで今回は前々からふと頭をよぎる方達の施餓鬼供養もしていこうと思いました。きっとこれもご先祖様のお導きかもしれないと思った次第です。どうぞよろしくお願い致します。

長文失礼しました。

 

時節柄、どうぞお身体に気をつけてください。

 

合掌

 

お知らせ
5月9日からはじまる施餓鬼供養は、申し込み締め切りは5月5日水曜日です。
 
初めての方は下記リンクをご参照ください。

無邪気

聖天様を信仰してみたいと思ったけどなんか難しそうだし…怖いというので…と言う講員様。

確かにそういう面は否定できないけど、聖天様は強力な護法善神であり悪魔・邪神じゃないからむやみに怖がることはない。

聖天信仰に一番大事なのは何かと言えば私は「無邪気」を挙げます。

頑是ない子供のような明るい心。

飾らず素直な心です。

逆に何を一番嫌うかと言えば不遜で傲慢な心ですね。

利口そうに取り澄まし笑いもしない心

嘘が平気な老獪なおとなの心を嫌います。

私も嘘つきは大嫌い。

聖天様はそういった人の化けの皮を剥ぐのがとてもお好きです。

時に「こ奴め!」」と嫌われたら徹底的にひどい目にあわされます。

そういうところにはやはり魔王の片鱗が残る。

でも仏様はそれを許してわざと残されているのだと思います。

そういう教師も必要なんですね。

 

聖天様に好かれるコツ

それはね、聖天さまの前にはたとえ80歳.90歳であろうが皆、無邪気で素直な「聖天様の子供」になることです。

集合している人たちのイラスト(子供) | かわいいフリー素材集 いらすとや

霊狐 自我偈を語る 2

「常に我を見るを以ての故に 而も恣の心を生じ 放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん 」

自我偈で釈尊がいなくならずいつもいると思うと、人々は甘えの心であえて修行せず、欲望に執着して悪道に堕ちてしまうから、涅槃に入る。つまり亡くなるのだと言います。

 

これについても霊狐さんから教えられました。

「これは人を頼る心。依存の心。何者にせよ偉大な覚者だ。神仏の化身だと崇め奉り、そういったものに心酔し頼り切る。それは過ちである。

依存しては修行にならぬ。おのれの中に仏を見出すのが修行だ。 

いかに優れた人に会えても、その人に頼り甘え切っていれば堕落するのみ。

世間に救世主だ。生きた神だと言われるもの多し。

 キツネの親子のイラスト-無料イラスト/フリー素材

 

 

危ういことにこれを崇めひれ伏し追随し執着する。

これにて我は幸いなり。おおいにこと足れりとするは物言わぬ木偶を神仏を信じ礼拝するにも劣れること数十倍なり。その害、必ず身に及ぶものぞ。

このくだりはそれを教えている。」

 

思うにこれは必ずしも教祖様の問題ではないですね。

世の中になんの道にも偉大な人はいますが、その周囲の人々に依存だけで学びがなければ、たとえ釈尊であっても涅槃するほかに手だてはないのです。

自燈明・法燈明とこのくだりは同じことなのだと霊狐さんは言いたいのだと思います。

お墓参りとその感応  善龍庵

 

 

 

この方はと争いごとがあったそうですが聖天様お稲荷様への信仰と施餓鬼供養、お墓参りなどによって、だんだんと良い方向に向いているそうです。

 

ここから頂いたメール

 

昨日は、父と実家の墓参りに行って参りました。


母の墓、本家の墓、そして本家の墓の回りにある古いいくつもの墓へお水を上げて参りました。

古い墓へお水を上げる気持ちになったのもお施餓鬼会のお勤めからのイメージのお蔭です。

 

昨晩は、内容をはっきりとは覚えていないのですが、会った事がある人たちや見知らぬ人たちに会い、楽しく過ごすという夢を見ました。見知らぬ人たちのはずが、どこか懐かしいのも

不思議でした。

 

しばらく夢を見た憶えがありませんでしたが、墓参のお蔭と思っております。

 


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お墓参りの不思議  善龍庵

 


全てを包む大日如来 - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

このお話しの続きを頂きましたので、ご紹介します。

ここから頂いだメール
 
大森先生
こんにちは。○○○○○です。


先日、お彼岸というのに母のお墓参りができなかった件は後ほどと申しました。


長くなりそうですがお許しください。


母が亡くなるまで、核家族の私の家庭には、お墓も仏壇もありませんでした。


両親とも信心信仰とは無縁の人達で、母は宗教的な葬儀はせず樹木葬にして欲しい申していました。


母が亡くなった時、葬儀社と打ち合わせを始めてから、父がやはり仏教の葬儀をしたいと言い出しました。


生前、母が「うちは浄土宗」と言っていたのを思い出し、浄土宗のお坊さんを呼んで戒名をいただき、仏壇のご本尊に阿弥陀様を安置しました。

 


三回忌を迎え、納骨先を探しました。
樹木葬は意外に経費がかかることがわかり、葬儀社が経営する近くの納骨堂に決めました。


そこは真言宗のお寺の敷地にあり、納骨式も今後の御供養も真言宗でやっいただくことになりました。


この世の都合で宗旨替えしてしまい、御先祖様に申し訳ないと思いました。

 


さて翌年の春彼岸に墓参しようとしたところ、お彼岸だというのにお寺に誰もおらず納骨堂に鍵がかかっていて墓参できませんでした。


また深夜のリビングを火の玉が飛んでいる幻を見たり、母の位牌が倒れて実際に仏壇から勢いよく飛び出したりすることがありました。


この頃、知りあいの「見える」人から「あなたはずっとお墓参りも御供養もしていないから、御先祖様が怒っている」と言われたのも気になっていました。

 

 

曽祖父が破産して亡くなったあと後妻や腹違いの兄弟と一緒に居づらかった祖父は東京に出て、現在の本家との関係が切れてしまったからです。


その時、祖父は系図と先祖代々の位牌を持ちだしてしまいました。
本家はこっちだと主張したかったのか、継母への嫌がらせかわかりません。

 

立志伝中の人となり故郷に帰って傾いた家を立て直すという志もあったかもしれません。


しかし曽祖父の莫大な借金を背負っていた祖父は終生貧乏で、家のお墓の管理も結局は後妻さんの子孫がすることになりました。


そういう訳で、御先祖様のお墓はよその家の墓だから行ってはいけないと、私は母から言われてきたのです。

 

しかし、偶然とはいえ、その母の墓参りがなにかに邪魔されているみたいに感じました。

 


またこれも偶然とは思いますが、○○家先祖代々の位牌を持っている家は、常に苦難を抱えていました。

 

先祖代々の位牌を持っているのに墓参はせず、ちゃんと御供養していないからでしょうか?


祖父の家庭は曽祖父が残した明治時代の借金を戦後まで払い続けて極貧の生活をしていました。


叔父は脳梗塞で早死にしましたし、その奥さんは若年性認知症で若くして施設に入りました。


その息子である従兄弟は土地問題で苦しんでいます。

 


私はなんだか彼岸のうちに御先祖様のお墓に行かなければいけないように感じ、近くに住んでいる大叔母にお墓の所在を聞いて往復8時間の日帰り墓参をしました。


93歳のおばあさんの情報ですから、お寺の名前も場所もうろ覚えで、地域での通称しか知りません。


しかもそこは祖父や母から言われていた宗派とは違う宗派のお寺でした。


その曖昧な話と、うちの特徴ある戒名と家紋と名字だけを頼りに不安な気持ちでお墓を探しに行きました。

 


大叔母に言われた通りのお寺はその町にありました。そして祖父が横浜に出て来て宗旨替えをする前は、うちは真言宗だったことがわかりました。


田舎の小さなお寺の墓地と思っていたら、山が三つほどの広い墓地でした。


途方に暮れ「御先祖様、どこ?」と涙目でつぶやきました。


ふと背後に圧力を感じ振り返ると、私の家の名字と家紋、系図で見た特徴ある戒名、曽祖父の非常に珍しい俗名があるお墓がありました。


山門をくぐってわずか10分ほどで、広大な墓地を私は御先祖様のお墓まで真っ直ぐ歩いて来たのです。私はとても驚きました。


偶然とはいえ、ひょっとすると御先祖様の霊は本当にいて、とてもお参りに来て欲しかったのかもしれないと思いました。


そして御先祖様は優しいなと感じました。

 

 


私は五輪塔と墓石をきれいに拭いて、お花と線香を供え合掌しました。

 

その後はうちで妙なことは起こらず、母のお墓にもスムーズにお参りできました。

 


この頃はまだ、御先祖様は確かにいるらしいけれど、私にとっては何を考えているのかわからない不気味で怖い存在でした。


御供養しなければならないと言っても何をしたらいいのかわかりませんでした。


また仏壇の中心にいらっしゃる御本尊様と、どう向き合ったらいいのかわかりませんでした。


その後大森先生に施餓鬼をお願いしたり、滅罪会などで修行させていただくなかで様々な気づきの功徳をいただきました。


御先祖様に対しても、生前葛藤があった母に対しても、最初は怖いからなんとか落ち着いてくださいという気持ちでいましたが、だんだん豊かに穏やかにお過ごしくださいと、暖かい気持ちで祈るようになりました。


そして御先祖様や親の供養をすることは、自分の存在に対して暖かい供養をすることだということがしみじみ感じられるようになりました。


母の墓にお参りできなかった時からちょうど一年たって、仏壇の阿弥陀様と光明真言がつながる体験をいたしました。


母の死をきっかけにヘンテコなことが色々おこったのは、仏道修行の入り口を御先祖様が示してくださったのかもしれないと思い感謝しています。


すごい長文になってしまいました。
お読みいただきありありがとうございました。


まだ夜は寒いですね。先生もどうかお健やかにお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。

 


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狩猟用ライオン繁殖禁止 大歓迎

news.yahoo.co.jp

愚かな人間どもの残虐な好奇心を喜ばすために狩猟用に生き物を繁殖する。

殺生の最たるものだ。これ以上の罪悪はない。

同じ不善の行いでも賭け事や色事に耽溺する方がまだましだ。

禁止は大歓迎だ。

 

かなり以前、まだ趣味の狩猟が許されているころ、信者になりたいと言うが狩猟が趣味だというのでやめねばうちは信者にしない。無理だと言ったことがある。

その人はいったん信徒になったが後にハンティングがやりたくて拙寺をやめた。

仕事ではなく、遊びで動物を狩る。

そういう人は御宝前にいるだけで不浄だからやめてもらったほうが都合が良い。

在家の戒を無視して欲願の祈願のみするのはあり得ないというのが私の考え。

ゆえに不倫の人やあくどい儲けの人もすべてお断りです。

後でばれればそういう方もやめてもらう。

その人はやめさせる前に辞めてくれたので良かった。

因みにお酒はどうか。

不飲酒の代わりに不邪見に変えて今おりますので一応大丈夫です(笑)