時々手を伸ばしてかき取る仕草して寝てます。モモタロウ 何の夢見ているの?
この子は抱っこするとすぐにゴロゴロいう。とっても幸福度の高い猫ちゃんです。
いつも幸せな猫ちゃんでいて欲しい。
世の中にいやなこと、つらいこと・・・それらは厳密に言うなら永遠になくなりません。
そうだとするなら一々シャカリキになって気にしなくてもいいんです。
ひとつ終わればどうせ次にまた頭の痛いことは用意されてる。
どうせなくならないんです。煩悩無尽誓願断。
悩まないためは悩まなきゃいいだけ。
気にしても無駄だ。
のんびりコツコツいけばいい。
どんな信仰してもそこは同じ。
絶対に辛いことも嫌なこともなくなるには死んでしまうだけです。
もっとも死後はどうなるか知りませんが…
入信したら悩みも嫌なこともすべてなくなるという宣伝は邪教の証拠です。
そういうのは心の問題。
何かを拝んでもその根本問題は解決はしない。
悟りが必要です。
信徒様
「とてもお忙しい中、すみません、宜しくお願い致します。
用件
「すみません、福猫の黒福ちゃんの事なのですが。
大変申し訳ありません。睡眠不安から福猫ちゃん達と添い寝をした事がありまして、普段は違う所にお奉りさせて頂いております。しかし、添い寝を忘れて、タブレットを持って、寝返りを打ち、黒福ちゃんにタブレット置きを当ててしまいまして、左のお耳の所に5?程の傷と擦ったような跡になっておしまい、申し訳ありません、傷付けてしまいました。今は添い寝はしておりません。
黒猫ちゃんに傷を付けてしまい、本当にすみませんでした。
どうしたら宜しいでしょうか。大変申し訳ありませんが、教えて頂けませんでしょうか。
黒福ちゃんを先生の所へお返しするべきなのか、送らせていただいて、修理は可能なのか、この相談料とともにいくらかかるのかお教えください。
画像は必要でしょうか。
何か黒ちゃんに私が出来る事はありますでしょうか。
黒福ちゃんに色々申し訳ありませんでした。
本当に申し訳ないのですが、宜しくお願い致します。本当にすみません。」
羽田
神仏はじめ、こういう過失はまったくお怒りになりません。
信仰の上から丁寧に扱うべきではありますが、特に仏菩薩は法華経に「仏陀は遂に怒り給わず」とあり、私的なことで怒る方ではないのです。
それでは俗人と変わりません。
不心得を戒めるための厳しいお導きはありますが、仏縁や信仰のない人にはそれもないです。
仏菩薩を悪意からわざと誹り傷つければ悪業ができます。その後になにかあってもそれはおのれの悪業の報いでしかないのです。
仏自体がしている事ではありません。
ただし天尊などの場合は実類の眷属たちが天尊を粗末にすることを強烈に怒ることはあります。聖天様はコワイというのもそういうことでしょう。
また実類の自然霊(蛇 キツネ 非業の死を遂げた祟り神などを祈り込めた祠)はよりはげしい我々と同じ心があるのでさらに容赦なく強烈な目に合わせます。
また仏菩薩の尊像には開眼者の性格が盛り込まれているので主に交霊術やお加持で不動尊や菩薩がしゃべるなどするのの大半はそれです。
まあ伝統的な修験の祈祷などにおいてはそれも神仏の意志の範疇に入れていますが・・・
そろいもそろって「中止する立場にない」ばかりだ。
ではこの国では万一の時に誰が国民を守るのか率直に聞きたい。
誰もいないと言うことなのか?
オリンピック以前にゆゆしいことだ。
今後どうなるかは知らないが正しい判断だと思う。
ここから日本と韓国の正常化が始まれば喜ばしい。
個人的には日本の製品や専門教育 文化などに興味を持つ日本ファンの韓国人も少なくないのだから。
私も韓国料理はおいしいと思う(笑)
これは区が横暴ではないのだろうか?
これらの店舗の人が生活手段を奪われて路頭に迷ってもいいという考えなのか。
それがまずおかしい。
彼らも区民だろう。
さらにいうならいまさら伝法院通りの道が広くなってもどれほどの利弁性があるのだろうか。
書類が残っていないなら逆に嫌疑不十分である。慣習法と言う考えもある。
浅草寺を頂くこの地域は観光地であり特殊な商業地域である。
そこは自分らがその書類を買って申し送りせず処分してしまっておいて立ち退きを求めるのはおかしい。それは役所内部の問題だ。彼らに関係ない。
経緯を知って要求することはあっていいが経緯を存知していないからと言って追い出せまい。
逆に区の側に立てば無料と言うのはおかしい。皆、土地に税金は払っている。
生計がなり合っているならそれに見合うように新たに土地代なり賃金を請求されてしかるべきだろう。
権利を主張するなら金を出すべきだ。
考えてもどうにもならない難問に突き当たったら「観音様に問題を預ける」
観音様はきっと解決法を知っている。
それはあなたの思うような解決法でないかもしれないけど・・・きっと、あなたの問題は解決される方向で動き出します。
手を合わせて「観音様、観音様、観音様にこの問題をお預けします。私は悩むのは止めます。どうぞよろしくお願いします。」ということ。
大事なこと。悩むのを辞めること。悩むのをやめないということは観音様に預けないことになりますからね。
だって観音様に預けると決めたんですよね?
たとえあなたに予知能力があったとしてもそこは今は捨て置きましょう。(笑)
ここでさらにいまひとつの大事なこと。知っておいてください。
私たちはとかく解決の結果でなく解決のスタイルに固執します。
でも・・・忘れてならないのは観音様は無限の力を持っているけど受け取るわれわれは微力な有限の存在。
だからそれは有限の中の無限の可能性なのです。
形では思うことは叶わずにしかも目的を達する。
そういうこともおきます。
問題は究極、どんな形でもそれで納得できれば解消と考えましょう。
形は思い通りで問題はそのまま残るのでは意味ないですから。
南無観世音菩薩。
南無観世音菩薩。