金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

パソコンダウンしたのでできたこと

パソコンダウンしてたのでブログ書くのも携帯じゃ邪魔くさいし・・・あまり筆が進まない。

そこで、久しぶりに次第書の書写をしてその時間にあてました。

まあ、何でも悪いばかりではない。

できなきゃ、かわりにできることを探してするだけのことでしょう。

問題なんかいつだってある。

全く問題がなくなることなんかない。日々の煩わしい問題とともに笑って生きる。

でなきゃ笑う日は来ない。

君子の交わり

君子というととても偉い品行方正の完璧な人のようですが、伝教大師様は「道心のある人を西には菩薩と言い、東には君子というのだ。」といわれ、君子は教えの違いこそあれ菩薩と同じく道を求めるという点で同じだとしています。

ここに伝教大師様の宗教の違いはともかく、「道」を求めることこそが人として最も大事なのだという姿勢が見える。

その「道」とは一人行く道ではなく、社会のためによく言い良く行う道です。

 

だから迷いがいかに多くてもへっぽこでも、私のような蚊や蟻にようなものでも道に志すものである以上は一応は菩薩であり君子の末席を汚すものであります。

君子も菩薩もベクトルの問題であって人の資質ではない。

 

その君子の教えに「君子の交わりは水のごとし」というのがある。

水のようにあっさりしたものでべったりとした交際はしないのが君子の交際だという。

菩薩の交際も全く同じでしょう。

 

一流の宗教家というのは遠くに見れば実に温かく慈悲深いが、だからと言って近づけばより暖かく慈悲をくださるかというとそうではないものです。

若いうちは、それは不思議に思っていましたが、それは私の考えがまちがっていたのですね。

どんな方にどれだけ近づいても同じです。弟子などになればむしろ峻厳を極め、冷徹な顔ばかり見ることもある。

でも暖かくても冷徹でもその心は同じです。必要な言葉や態度をとるのみです。

修行の道に入ってからよくわかったことです。

菩薩や君子にも当然、好悪の感情はあるでしょうが、でも個人的好悪を主に人に相対してはいない。

だからその付き合いは淡々としている。

宗教家ではないが剣豪・宮本武蔵も「いずれの道にも別れを悲しまず」という。

彼の標榜する道は「独行道」ですがやはり後人のために書を残した同じところに達した人の言葉でしょう。

 

 

 

 

 

クロベエさんは人気者

都内の御宮に来られる画家さんが見たことはないのですがクロベエを描いてくれました。神社で働く方経由でいただいた。

クロベエは幸せ者だ。

画賛は「苦労はすべて笑顔に変わる ゆっくりいくべえ」でクロウとイクベエでクロベエが入っています。

そういうニャン生ならぬ人生を生きたいものですね。

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書いたのはこの先生です。

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猫アレルギー

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保護猫活動をしていたのに、なんと、猫アレルギーになってしまったというかたがお参りに来ました。マスクはしていますが不思議と出ない。周りには猫いっぱい。アレルギーってよくわかりません。
マスク外してお菓子も召し上がりました。

鎭宅の家とはなにか

家族の問題を解決するか鎭宅霊符法。
一人暮らしはどうなる?
一人暮らしでも家に柱はある。
それはその人の描く理想の家です。
鎭宅すべき家は心の中にあるのだ。
建物がそのまま家ではありません。
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