今日は浴油終えたらそのまま高崎、明日は長野のいずな山、週の半ばには千葉流山。週の末には岩手は八幡平
頑張って行ってきます。
今は八方飛び回っていますが・・・もう65歳なのでただでさえ忙しいので遠距離の出張祈祷は以後はだんだん辞めま~す。
代わりの祈祷僧は養成して用意できていますのでそっちに行ってもらうか、それじゃいやだというなら自分で探してください。
そこは私、関知しません。
今日は浴油終えたらそのまま高崎、明日は長野のいずな山、週の半ばには千葉流山。週の末には岩手は八幡平
頑張って行ってきます。
今は八方飛び回っていますが・・・もう65歳なのでただでさえ忙しいので遠距離の出張祈祷は以後はだんだん辞めま~す。
代わりの祈祷僧は養成して用意できていますのでそっちに行ってもらうか、それじゃいやだというなら自分で探してください。
そこは私、関知しません。
養老孟司先生の「ヒトのかべ」という本を買いました。
わたしは養老先生は「バカの壁」がヒットした東大の先生だった方だくらいしか知らず、どちらかというと愛猫まるが好きてテレビを見たことから始まります。
NHKの「養老先生ときどきまる」という番組だったが、見ている私的には「まるときどき養老先生」という感じだった。
電車の中で少し読んでみた。
全部は読んでいないからさいごの結びはわからないが、冒頭に見る限り、養老先生は解剖学の第一人者でありながら自分の仕事が果たして世の中で価値があったかどうかというと否定的なのだそうです。
私も「先生が死んだら頼りがなくなります。どうか長くお元気でいて下さい」といわれたりすると、まあお世辞に決まっているのに・・・「いやいや、私の代わりなんていくらでもいますよ」と言ってしまう子供じみた自分がいる。
正直それだけ自分は社会に必要な人間とは思っていないのです。
だからに真に受けてそういう間抜けなことをほざくのだろう。われながら幼稚なことよ。
しかし、そこは措いて実際問題、世間様の役に立っているか?そこを考えたら甚だ怪しい。
まぁ仏教に関心ある人に少しばかりあるか知らないが。
だけどじゃあ羽田は自己否定的なのかというとそうではない。
なんとなれば私は世間様以前に自分自身の為に仕事をしているからなのだ。
たとえどんな仕事でも変わりの要員はいるだろう。
だが考えてみて欲しい。自分自身の代わりはないのだ。
その人を求める人たちだって代わりなどいない。客という言い方でくくっているが。
それは概念であり求めてくる人たちは厳然として一個の人間だ。誰も一人としてかわりなどない。
人間の価値はそこにこそなくてはならない。
だからまず自分のために仕事をし、生きる。内容が良くてもしょぼくても。
それで全然いい それで正しいと思っている。
昨日、地鎮祭の記事を書いたらうちもするのだけど、五大明王供は知らない。
どうすれば・・・というお寺様の質問がうちの弟子にあったそうです。
別に五大明王じゃないとダメとかではない。
極論すれば何の御仏でも祈ってご加護が無いわけはない。
何如なる御仏も総願に「衆生無辺誓願度」「福智無辺誓願集」と言っている。
五大明王を祈るわけは一応これを方位守護の仏とした考えているわけですが、この考えは密教に浸透にもしているが、もともとは密教ではなく修験道の考えです。
具体的には五大尊の化身の五帝龍王に祈る。
柴燈護摩の宝弓作法に出てきますよね。
それで五帝龍王の幣台を掲載しておいたのですが、別に前もって普通に不動護摩でもいいんです。
なんなら五大明王の真言を念誦に足しておけばいいでしょう。
五帝龍王はお経としてはたしか和製経典の地心経に出てきます。(地神経とは別です。)
護摩が焚けないないなら仁王般若経を読めばいいでしょう。
密教では一応五大明王の守護をいただく考えはここから出ているということになっている。
不空三蔵訳がいいが、なければ羅什訳でもいいです。
お焚きあげのいちばん初期のお札。これは妙見さまだから星祭りかな。
そのころはお札屋さん頼むほどの信者さんもいないし、さりとて祈願札ださないという訳にもいかない。
で、私が描いた手書きの絵をコピーしただけ。御影モドキ。
よくも今まで残っていたもんだ。
まあ20代のころですね。懐かしいな。
昔は何にもなかった。一面器なんて手が出ない。ウインドウを眺めるだけ。
プリンのカップを六器にしたり、水柄杓で柄香炉モドキ作ったり。
ないものは工夫して代用。
今思えばそれなりに楽しかったかも。
だから若い行者さんを応援したい。
無論甘えにならぬように見守りたいと思う。
学道の人は貧たるべしと言う。若き人の貧は大事だ。
そして貧には裕福にない質の違う型破りの自由がある。
私の師匠は現世利益追求の聖天信仰の先には観音信仰がでてこなくてはいけないといっていた。
自利から利他の菩薩行へのシフトがなくてはいけない。
昔は聖天信仰で大願成就した大事業家や一流人などは邸内に観音堂を建てた。
聖天堂ではなく、本地の十一面堂を建てた。
それで昔、篤信者に本式の白檀の十一面観音を作って頒布したが師匠にいわせるとよく保てるものがなかったという。
感謝や報恩でなく、尊像を買えば余計ご利益があると思って求めたからだろう。
残念なことだと語っていた。
最終的には得度して修行するものの手元にのみ残った。
私を含めわずか三名。
私は薄徳の若年の身であったが観世音はそれでもわが修行を憐れみ給うたのだと思う。
あとの二人はやはり得度した霊能者であった。
以後、在家においては十一面尊の尊像を祀ることは師匠はさせなかったと思う。
だから聖天像でなくても十一面尊を祀るのには用意がいるのだ。
さて、施餓鬼においては相手が餓鬼でさえ「先に道を得るものは誓って相度脱せんことを」と言ってきかす。
けだし、いつまでも成長のない信仰は神仏から捨てられるのだ。
例えば聖天信仰は思い切りが大事だから大願あれば祈願料をドンと積み込んで祈願を叶える。
それでよしんばどんなにご利益があっても、永遠にそんなやり方だけを延々といつまでもしてちゃいけない。
成長がない。それではいつか感応がぴたりと止む。
聖天尊自体は第六金山に住む天尊であって我々のささげる世俗の財宝など所詮目ではないのだ。だが布施波羅蜜の方便の故に受けてくださる。
観音信仰にシフトといっても聖天様の信仰をやめて観音信仰するわけじゃない。内容が観音信仰になっていく。天尊を菩薩に昇華する。
菩薩の心が出てくる。
利他の心を大事にする。
そうした観音信仰の果てには今度は阿弥陀の浄土信仰があるという。
観世音菩薩は極楽浄土の使者だ。
阿弥陀仏の化身でもある。
この世の欲のない世界を目指す。
その世界で救済者の側に立つ修行を積んでいく。
そういう聖天信仰のいきつく先を教えてくれたのが師匠だ。
ただただ、最後の最後まで欲まみれ、煩悩まみれの信仰で失敗して「聖天様は恐ろしい」などというのは天尊からすれば心外というべきだろう。