金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ロシア軍のドネツク撤退! 万歳

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「ロシア国防省は、ウクライナ東部・ドネツク州リマンからロシア軍が撤退したと明らかにしました。併合宣言の翌日の撤退はプーチン政権にとって政治的にも大きな打撃となっています。  ウクライナ軍は9月30日、ドネツク州の要衝であるリマンにいる5000人以上のロシア軍を包囲したと発表しました。ロシア国防省が1日、撤退を認めました。」

 

偽りのロシア領・ドネツク共和国?リマン早くも陥落。

ロシアが自分の領土だというなら死守したらどうなんだろう?

ここがモスクワでも旗色が悪いならロシア軍は逃げるのか?

 

 

 

宇宙に自分を一体化させるのは逆

よくスピリチュアルな世界では自分を宇宙と一致化させるワークだの瞑想だのやりますが、仏教的にはそれ認識が違う。

それだと自分と宇宙がいつまでも二つある。

梵我一如と表現する人もいる。

梵と我、ブラフマンとアートマン。

本当のヒンドゥーではどういうのかしらないがザックリそういう考えに近い。

仏教では逆、我に宇宙を一体化させる。

我即宇宙。

私がいて感じているものがそのまま宇宙。

それ以外に宇宙は存在しない。宇宙と我はふたつではない。

我が宇宙に一体になる瞑想などは非日常的なワークである。

だが対するに宇宙即我は観念であり、常に持っていられる感覚だ。

出来上がればワークも瞑想もあえていらない。

悟りとは言い換えれば事実を知ることに他ならない。

ならばそこに自分が敢えて思いを深くすることも強調することもいらない。

例えば「空が青い」と知ったら自分に対して「空は青い」という瞑想だの暗示だのを頻繁にすることになにも意味などない。

 

似ているようでまるきり違う。

こと、これに関しては差別でジョウトウだ

news.yahoo.co.jp

「この北海道という街は、その昔、開拓民たちが一生懸命に開拓した街だ。お願いだから、この自然に満ち満ちたこの土地を、外国人に売らないでほしい」とメッセージを送る

 

 

長渕氏は正しい。

貸すのはともかく外国人に限りある国土を売ってはいけない。すでに通貨も外国表示の地域もあるのだ。

「そんなの差別だろ」という人に聞く。国土は生産できますか?

差別で上等。

ことこれに関しては私は断固差別主義者でいきます!

外国籍という枠がすでに区別あって当然なのだ。

参政権も絶対反対だ。

大量移民も反対だ、ウクライナ東部を見るがいい。

密教の強み

世の中には様々な宗教があり、それぞれに祈願もある。

だが密教はこれが一番というものを一つ上げるなら防御である。

これはほかの宗教では及ばない。

例えば攻撃呪術に優れていても自分のことは防げないという宗教は結構ある。

故に祈りあいになるとすごい呪力があってもあっけなく死んだりする。

ミサイルの打ち合いのようになる。

故に各々大変に苦労をする。

ある陰陽道系の呪術除けを見せていただいたがなるほど人を呪うだけあって防衛は気を使っている。

だが大方はここまでの術は備えていない。

 

その点、密教は護身法に始まり護身法に終わる。

全ての作法がそうなっている。

基本的なものではあるがこれが最も強烈な呪術なのだと思う。

護身法について詳しく話すことは許されない。

ただそれは密教のアルファにしてオメガであるといえる。

ものの本にも出ているのにともったいぶるほどのものかと思うだろうが、実際に秘密にするべきは印や真言ではなく意密である。

意密を知らずしてこれを行ってもただの手遊び、言葉遊びの類だ。

密教にはならない。

ならなぜ印や真言を秘密にするのかといえば、これらを日常誰の目にもさらして手遊び言葉遊びのように思いなしていれば肝心な時には使い物にならなくなるからだ。

このことはほかの伝授においても言える。

伝授されないのに使用して弄んでいたものは、いざ正しく伝授される状況においても効験はない。

だから越三昧耶を懼れるのはまさに自らのためだ。

いきなり不動明王の根本印教えて欲しいという人もいた。

断りはしなかった。

手順を踏んで授けてもいい段階に至れば話は別だということもあるからだ。

「授けてもいいがその前にしていただきたいことが・・・」と前行の話を延々したらそそくさと帰って行った。

この手順あっての伝授だ。いきなりそれだけを教えてどうなるものでもない。

 

 

 

色々の秋

葉が様々に色づく秋。

人のそれ相応に色がつくときなのか。

 

恋もしがらみも捨て、いままでの仕事をきっぱり捨てて修行の道を目指す人。

何度も何度も失敗を重ねて行法にいそしむ人。

功成りて晋山する人。

プロを目指していたが修行を自行レベルに戻して歩む人

とりわけ理趣分一区切りの人は多い。

理趣分はこれ一本でオールマイティなのに何かつまらぬもののように思ってか、「密教をお教えろ」という人も多いのだが・・・・私もさせても甲斐がないとわかり切っている人の面倒まで見ることはしたくないので基本的には皆断っている。

熱心でも環境的にあるいは体力的に無理な人もいる。

 

何かあわただしい秋です。

 

 

荒神様と命名祈願

赤ちゃんが生まれる時。命名をしばしば頼まれますが、うちでは姓名判断をするのみでなく命名祈願というのをいたします。

これは占いではなく良い名前が定着するように祈る御祈願です。

荒神は天下万人の産土神で、倶生神ですから、その人の影の形の如くに沿う存在といいます。

この時荒神を祈り、一生の福分を祈願します。

荒神の正体とはその人の第八阿羅耶識です。

しかし良き異熟をためて悪しき異熟を除く。

第八阿頼耶識自体にはその力はないのですが荒神にはその力があります。

 

それは何かといえばそのまま放置した阿頼耶識が我々の人生に大きな破壊的作用すらもたらす忿怒の大荒神なら、そこに菩提心というものをおくことによってそれが仏としての荒神つまり如来荒神と変じるからです。

如来荒神は六臂金剛薩埵であり菩提心を司る普賢菩薩です。

 

菩提心こそが荒神の本源です。

 

菩提心の奥には分かちがたく一切を摂す如来の大慈悲心があります、

これがその人に人としての有情利益の良き「志」すなわち菩提心を与えるのです。

ただの異熟の蔵としての阿頼耶識に活きた方向性が生まれます。

それこそが生きがいとか生きる意味というものでしょう。

ただその人の一生が福分に恵まれたものにと祈るだけでは不足なのです。

仏教の真の目的はいずこにあるかということになりませんか?

誕生のはじめから、菩提心の発芽があらんことを祈る。

それが命名祈願です。