金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

私の茶飲み話

器を知って人生を歩む。

もし幸せな人生を歩みたいなら自らの器と言う者を知ることが大事だと私は思います。 ある行者さんがいた。 もともと採燈護摩の手伝いなどしていたが得度して本格的に行者の道を歩み始めた。 町の拝み屋でいる内はとても評判が良くいい行者であった。 その人…

無量光仏

oomorigijyou.hatenablog.com この体験をされた方は阿弥陀さまと光明真言がリンクされたとのお話。 真言宗ではいかなる尊も大日様の化身ですからもっともです。 天台ではどうか? 天台では光明真言供の本尊に四種あるとします。 大日如来、不空羂索観音、阿…

私の野狐禅

今日は久しぶりに少し座った。 若いころからチョコっと真似事程度しているが、どこまでもどこまでも無明のようなものしか見えない。しかも最近ますますそうなる。 霊狐さんは「なら無明を見たらいい。無明が判れば真如も又うかがい知れよう。」 私「それでは…

自然が設定した人間の晩年の話

この間面白いテレビを見た。生物学の番組だ。 普通の動物は終生、生殖能力があるらしい。 それが亡くなったらもう寿命だ。 昆虫なんかは卵産んだら死んでしまう。子供の顔を見ることはない。 サケやアユもそうだ。 人間だけが生殖能力が減退してもなお数十年…

捨身飼虎

news.yahoo.co.jp 次の生まれ変わりに期待して自殺する。 ハッキリ言ってこの考えは大乗小乗ともに仏教のものではない。 錯乱した思想にとらわれていたのだろうか。 この世での行いで次の転生がきまるのだ。それを逸脱して何が高い次元か? この行為はゲーム…

普門の徳

昨日は母の百箇日にあたりますので「聖観音供」をいたしました。 聖観音様は拝みやすい。 心が明るくなる。 法華経の普門品にあるようにどなたでももれなく縁づく観音様。 これに対し十一面観音などの密教の変化観音は特殊な因縁によって出会う観音様。 だか…

無願三昧は小欲知足のことか?

「無願三昧」のことを聞いて「我、ただ足るを知る。小欲知足が大事ということですね。」と言われる方もあるがそれは大いに違うと思うのです。 足りるとか足りていないとかを自分があれこれ考えないのが無願三昧と私は思っています。 わたしたちはあれが必要…

如意輪観音 輪宝の不思議

如意輪観音様と言うと女性的で優しいイメージです。 三井寺の如意輪様などは本当にあどけない童女のようなお顔をされています。 でも実際はそんなに甘いお方ではない。 私は何度もそれを実感している。 私にとって観音と言えば本尊の十一面様、次いで馬頭観…

御祈願の前に・・・

講員様 「猫の事ですが、パピ(ミヌエット)が昨夜ロンをみると気が狂ったように追いかけまわし、止めに入ったら思い切り手を噛まれたのですがその後は引き離して寝たのですが、おかしかったので馬頭観音、聖観音、金光明最勝王経、今朝は法華経を読んで仕事に…

一番自由になる方法

生まれてからわたしたちは人を手本に生きている。 なんでも人と比べて基準を定める。 それも人間が大人になるまではたしかに大事だけど、 もういでつも、どこでも、どこまでも人と比べてどうかだけで生きているようになってしまってるのかもしれない。 爺さ…

仏像はほとけの声を聴くためにある。

すべての福猫祈願が終わりました。 明日からは発送準備です。 福猫さんはなんて拝めばいいのですか?と聞かれますが 、普通にお話しするようにすればいいのです。 勿論、般若心経とか光明真言とかあげていただいたら素晴らしい! でも福猫にかたりかけること…

邪教でないなら利益も救いもあるでしょう。

どんな宗教でも急場拵えの金儲けのためにつくったインチキ邪教でない限りは、おおむね奇跡もあり得るし、御利益も救いもあるだろう。救いのない宗教はない。 少なくとも現世での救いも説くならね。 我が国の仏教においてもそう思う。 なかには真宗さんの様に…

法華供「無願三昧」の祈り

天台密教の法華供に「無願三昧」と言う言葉がある。 「法華供」とは密教作法の中で法華経を拝む方法だ。 一応は滅罪生善。仏果増進のための法である。 そもそも何も願わない三昧とは何だろう? それじゃバカみたい? 法華法も祈願である以上何かを望むから行…

勢至菩薩と月の信仰

勢至菩薩は十二支を守る八尊仏では午年生まれの守護仏です。 それに以外はあまり単独で拝まれていることの少ないみほとけですが…今回一早く不動尊華水供・理趣分を共に満行した方が「勢至菩薩」を信仰されていて「勢至法」伝授の準備をしていました。 勢至菩…

発心修行の旗

修復した最勝王経曼荼羅をかけました。 般若経の主たる菩薩は文殊菩薩 法華経は普賢菩薩 諸仏の母、諸法の父といわれる金光明最勝王経の中心的菩薩は妙幢菩薩です。 聞きなれない菩薩さまですがこの方は実は地蔵様なんですね。 妙幢と「妙なる旗」の意味。地…

先祖霊信仰

仏壇やお墓でお参りの時「お父さん、みんなを守って」とか「おばあちゃん、どうかわたしを助けて」とかいうひといますね。 仏壇は故人とのコミュニケーションの場ですから会話のうちと考えればそのような言葉をかけても悪くはないでしょう。 ただし、亡くな…

盲僧琵琶の地神和讃から

www.youtube.comoomorisenseiga 今朝は大森先生が知人や荒神のことにふれておらるので再び、九州北部の盲僧琵琶のおはなし。 その世界観では地神は荒神と一つで、地神の怒れる姿が荒神のようである。 大変古いビデオであり、現在はこのようなスタイルの祭礼…

安心立命

宗教者の役割は究極は安心を与えることでしょうね。 いわゆる安心では無く「安心立命」である。 いわゆる自分の存在に納得できること。自分と言う存在に納得できることだと思う。 「安心立命」するということは簡単に言えば今の自分に納得するということです…

大力の魔

今日はある神通力に優れたてはいたが素行の悪い行者さんの話を聞きました。 特に女性に手を出す。 病気を治したりするけど尊敬できないといっていた。 そういうのは現今では犯罪です。 私も昔、師匠から大変験力があった人でも二号さんのいた行者さんのこと…

神祇はフィールドから展開する

竹寺はなんと牛頭天王が本尊なんですね。 お薬師さんじゃなく。 これはとっても珍しい。廃仏毀釈の官憲の手も飯能の山奥にはおよばなかったらしい。 でも同時にそれはこのお堂を中心とした峰が大きな牛頭天王のパワーで結界されてきたということでもある。 …

死に親しむ

武士道の書「葉隠れ」に「武士道とは死ぬることと見つけたり」とある。 死に親しむ。 昔の武士はそのようにしていた。 現代の私たちには関係ない。 いえいえそんなことないと思いますよ。 死を意識してこそ生は鮮やかに、より意味あるものになる。 死ぬこと…

供養と祈願

先祖や亡くなられた方への供養は自分の領域が広がることだと思う。 大森先生のお施餓鬼で様々な不思議が起きるのもそうだろう。 自分と言うものが過去に向けて拡大する。 するとその過去の中で修正が起きる。 その果実が現実世界に返ってくる。 半面祈りは未…

普通の悩みは拝んでもなくならない。

最近色々思わしくないので最高に大きいご祈祷にしてもらいたいという講員さん。 熱心で沢山のご祈祷頼んでいる部類の方です。 でもお話うかがっているがまあ、失礼ですが普通の悩みですね。 家のものが方位が悪いのに遊びにいきたがるとか。 いうことをきい…

「三力冥合」は自然なもの

最近拝んでいて霊験はリンクして起こるんだと思う。 私と受け手と神仏への信仰。 これを密教で「三力冥合」といいますね。 祈るのもそうだけどうまくリンクを調整するのも仕事。 そのために布教やお話をします。 そのリンクが切れてれば駄目だね。 強烈な念…

語りかける力 

福猫さんは拙寺では人気のある行事ですが、なぜそんなに人気があるのか? ひとつには御利益を受けやすい。 色々な御利益の報告がきます。 猫で人の姿ではないけどそういう方は「福猫に生きているように語り掛けている」と言う共通の要素があるようです。 そ…

天帯耳を覆う愛染明王

愛染明王の本拠「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」には愛染明王の表現で「天帯、耳を覆う」という言葉がある。 きらびやかな冠から伸びた左右の布飾りが耳を覆うの意味。 愛染明王はラジャの三昧におられる。ラジャはつまり王様です。 きわめて高貴の三昧におられ…

冷厳な慈悲

昔、若いころ不思議だったのはひとかどの人物と言うのは皆、距離があると優しくいかにも温かで、近づけば近づくほど、冷たく厳しいものだということ。 当時の未熟な私は冷厳な慈悲と言うものを知らなかったのだ。 特に私の知る宗教者は一応にそうだった。 で…

○○信仰

聖天さまを信仰している 観音さまを信仰している お稲荷様を信仰している。 と言ってもお札を祀り頼みごとをしていればそれで信仰と言うわけではない。 共に生きることが信仰。 その覚悟が信仰。 これから先この方とともにずっと生きていくというのが信仰だ…

お葬式に行かないという選択

大部以前に「キリスト教のお葬式に行かないといけないのですが、その場合どうすれば?」と聞かれたことがあります。 その方はうちの信徒さんでした。 まあ、行けばどうすればこうすればはあちらさまで教えてくれるでしょうし、僧侶の私にそれ聞くのも変でし…

仏道の終着点

健康に働ける。普通に生活できてに周囲と和悦して暮らせること。 この「ありきたり」が喜べるというのが仏道の終着点です。 あるべき悟りの世界です。 ここに至る以外に本当に大事なことは外になにもない。 浄土や仏が見えたとか、光に包まれた体験をしたと…