金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

観音三尊に想う

天台宗に多い形ですが観音三尊というお祭りの仕方があります。中央が観音さま、右もしくは左が毘沙門天で反対が不動明王です。これは横川形式ともいわれます。比叡山の横川で慈覚大師様によってこのスタイルができました。
観音三尊の会式を見ているとハワイのスピリチュアリズムに共通するものを感じます。ハワイのスピリチュアリズムといっても、もともとの現地の考えでなく、世間に流行しているのはそれをアメリカナイズした考えなのですが、それによると我々の魂にはアウマクア、ウハネ、ウニヒピリという三つのレベルがあるそうです。上からハイヤーセルフといわれる超自我、次のウハネが社会的なわれわれの意識している自我、ウニヒピリは潜在意識のようなものでフロイドの精神分析で言うイドのように本能的な自我でもあります。
マウアクアは本来のハワイ人的考えでは先祖霊のことなのですが、ハワイでは遠いご先祖様が神様でもあります。我々の中に生きている超自我はハワイ流にいえばご先祖でもあり、神様でもあります。英語的にはハイヤーセルフといわれる、悟りにも通じた自我で観音三尊で言えば最も高い悟りをしめす中尊の観音さまでしょう
次のウハネは普通に霊といわれますが社会的な意識されている自我、ミドルセルフですからこれは毘沙門天に当たるように思います。毘沙門天は神々の王、帝釈天の配下である四天王のトップです。毘沙門天は、帝釈天の軍の総帥といういわば「社会的な役割」があります。また吉祥天と禅尼師童子という妻子を左右に置く姿は「父」というプライベートな世界での役割です。
最後のウニヒピリは不動明王でしょう。ロウセルフなどといいますが、もともとの意味はウハネが進化したものとも聞きます。本能的自我は怒りの形相で生命そのもののエネルギーとして迦楼羅炎を噴き上げています。迦楼羅とはインドの怪鳥で龍を食べるという炎の鳥です。フェニックスのようなものでしょう。
不動明王には迦楼羅を表すこの炎のほか、倶利伽羅龍、コンガラ、セイタカをはじめとする八大童子などの動物や子供が付き従い、我々の持つ本能的なエネルギーを表現しています。
ハワイではマウアクアが一番というのではなく、ウハネやウニヒピリも同じようにに大切にします。日本の宗教観だと本能的自我を煩悩として苦行で制圧し、社会的自我をも超えて遁世出家し悟りの世界を求めるのが宗教、とりわけ仏教的なあり方のように思いますが、ハワイでは違います。ただ一般に思われているのと違い密教などはこれにすごく近い考えだと私は思います。むしろ観音三尊の示すバランスが大乗仏教の理想的な在り方でも有ると思うのです。悟りを求めることと同時に社会での普通に生き方も求め、本能的自我の要求をも無視しない生き方、これでなくては大乗にはなりえません。そしてそれはわが国では古来、観音三尊に秘められてきた教えでもあると思うのです。