金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

荒神経の話1

荒神様は当院ではお正月に御台所に祀る神様としてご紹介していますが、もう一つの顔は聖天様の化身、弁才天の忿怒のすがたともいいます。
特に聖天様と荒神様は縁が深く、関西では生駒の聖天様をお参りする方の多くは兵庫の清荒神様と峰続きの信貴山の毘沙門様をお参りします。
荒神様は詳しくは三宝荒神と云い日本で生まれた神様ですが、日本の古い伝承ではお祀りしないと怖い神さまということになっています。
すなわちお参りしないと暴れるので荒神様というのです。
今日的イメージではそんなのは神様らしくない、むしろ悪魔的と思うかもしれません。しかし、荒神様には実は大変な秘密が隠されているのです。
当院には荒神様はメインでお祀りされていませんがなぜいま荒神様のお話をするのかと思う人もあるでしょう。でもその秘密が解れば神仏というもの、ご利益というものが皆様においてより理解できると思うからです。そして荒神様がきわめて重要な神様であることも理解できるのではないかと思います。
では実際に荒神経を見ていきましょう。
この御経は正式には「仏説大荒神施与福徳円満陀羅尼経」といいます。荒神経は礼拝要典にはありませんのでこの紙面で紹介していきます。
「かくのごとく我聞きき。ひと時仏光明心殿のなかに住して大比丘衆千二百五十人とともなりき。みなこれ大自在方便あって心に自在を得たり
文殊室利をしかも上首となす。」
仏様の御説法が始まる場所というのが御経には原則として初めに示されています。ここでは「光明心殿」という場所です。これは端的に言って皆様の心の内の事をいっているのです。ですからこの御経は歴史的に説かれたのではなく比喩的にそして物語的にとかれています。実際の御経はそういった存在がほとんどです。特に大乗仏教の御経、般若心経や法華経阿弥陀経などは全部そうだといっても間違いないのです。しかしここまではっきり「光明心殿」という表現をしているのはほかにも珍しい例です。ここにたくさんの阿羅漢たちと智慧の仏である文殊さまが顕れています。これは我々の知性の働きを代表しているのです。(金翅鳥月報より転載)