金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

聖天様と観音様

当院には大きく分けて聖天信仰、観音さま信仰の二種類の信仰があります。
全く別々な信仰と思われている方もあるかもしれませんが実はそうではありません。
密教における聖天様は十一面様の御化身だからです。聖天様と云いますと秘仏であることが前提ですから普段は行者以外はお姿は拝めません。実はご夫婦の神様であり、男天、女天のお二方がいまします。男天の聖天様は元々、インド神話の神で凶暴な荒神であったのですが仏教に帰依して護法の大善神になられたのですが、そこには強い観音様のお働きがありました。実は女天の本地は観音様であり、常にシッカリと男天(もともとの聖天様)を導かれているのです。ですから、観音様は聖天様も頭の上がらない奥さんであるわけですね。
聖天様のルーツはインド物産店に行くと見かけるあのガネーシャと云う象顔の神様です。一見ユーモラスでさえあるお姿ですが最高神シヴァの御子神であり、大変な御力があります。そこで万能の神様としてインドでも絶大な人気があります。日本でも古来ほかの神仏で叶わぬ願いならまず聖天様に頼めばいいといわれております。大変頼もしい神様ですが、やはり聖天様は元来が九千八百の鬼王の中の王ですのでその厳しさ、荒々しさは依然、強烈に残しております。そこで、それをなだめ諭し、正しく導くのが女天たる観音様の大事な役目なのです。
聖天尊のご祈祷をする場合にも行者はまず十一面観音の供養を一千座修行しないと聖天様のご祈祷は拝めないということになっています。十一面様をしっかり拝まないと聖天様の持つ荒々しい恐ろしい面が出てきてしまうからです。
このため聖天供は実は「女天の法」と口伝されています。つまり十一面様の化身である女天の御力を頼んで男天のお働きをひきい出すして頂くわけです。ですから観音さまのいない単身の聖天の像はかなり荒々しく拝みにくいものとされており、これは優れた行者が全く観音の境地に立って相対さないとお働きは頂けないといわれています。
当院ではいきなり聖天様のご祈祷と云うことはしません。たとえ、他の霊場で聖天信仰をしてきたからこの人はいいかなと思ってもやはり十一面様からはじめた方が間違いがありません。世間では聖天様はどんな無理な祈願も聞いてくれるけど、いったん怒らせたら取り返しのつかぬ激烈な罰が当たるので怖いとよくいわれます。
しかし観音信仰に基づく真の聖天信仰では無理な願いは観音様が全て排除します。聖天様は真剣に祈ればどんな願いも叶うと言いますがいけないものはいけません。この道理を外さねば聖天様の御怒りや罰もありません。道理に合わぬことつまり、無理は結局形の上はどうあれ不幸につながります。良いことにはなりません。
聖天信仰も観音信仰もその心は一つです。本筋に違いなどありません。聖天信仰には先ずそうした観音信仰を基本にしっかりと持つことが一番大切なことなのです。