金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

孤独の選択

最近は独り暮らしが増えたそうですが、孤独を感じている人は少なくないといわれています。
でも必ずしも一人暮らしだから孤独なのではありません。
完全に一人暮らしの人もいるでしょうが、家族がいても孤独という人もいます。恋人がいてもそう思う人もいます。
人間は我が儘な生き物ですから思うようにしてくれないと周りにいくら人がいてもそう思うのです。
孤独」は物理的に人間が周囲にいないことではありません。
つまり人と人の「心のふれあい」がないことです。
でも考えてみてください。
「本当に孤独ですか?」
ふれあいや交流を求めるばかりで、求められても応じていない人もいます。
そういう人は気に入った人が相手ではないと嫌だというのです。
自分で決めて人を受け入れる心の幅を狭くしているのです。
勿論、相手が限定されるべき恋愛などはそれでもいいのかも知れませんが、理想像以外は全部拒否では多分恋愛も困難です。
理想の人に幸せにしてもらうという発想はハッキリ言って間違いです。
そんなこと誰もしてくれません。

恋愛でなくても人に誘われても基本的に応じない。
でもそれでいて「私はひとりぼっちだ。」というのです。
でも実際、貴方がそういう「孤独」をやっていられるのはあなたがひとりじゃないからではありませんか?
孤独は一人ぼっちでは感じられません。それは人の中にいて感じるものですから。
奥山の岩棚の上にたった一匹で止まっている鷹や鷲はいかにも孤独にみえますが、彼らは少しも淋しさを感じません。
彼らはそういう生き物なのです。
群れない生き物なのです。
たぶん本当の「ひとり」とはそういうものでしょう。
これに対して人間は群れる動物です。
孤独が好きという人も鷲や鷹の気持には到底及びません。
所詮、人を意識しての孤独ですから。

「自分は孤独だ。」という貴方。
でも、たぶん本当は全然独りじゃないのです。
実際は孤独をあなたが選択しているだけかも知れませんよ。