金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

思い出のハッちゃん



今日は大阪からお参りに見えた西洋占星術師の方から面白いお話を伺いました。
西洋占星術で星の弱いところを補う一法として、それに見合う生年月日のペットを飼うんだそうです。お話ではもともとは人で補うものだったのでしょうが、つまり伴侶としてそういう人を選ぶということのようです。でも、誰しもがそうもいかないので次善策としてワンニャンの命式で補うということがいわれだしたらしい。(勿論、前提としてペット好きの人の話ですけど)
ただその方の話では実際の効果のほどははっきりとは確認できるまではまだいっていないと云うお話でした。

宿曜の法でそういう技法はないけど私は犬や猫を飼うときは犬、猫の命式や私との相性は看ます。
今でも思い出深い猫にハッちゃんと云うのがいました。正式には「ハチ」ですがハッちゃんと呼ぶことの方が多かった。
白黒のウシ柄で頭部に八の字のブチがありました。スコティシュフォールド種でしたが、もう少しおおきくなっていてペット屋さんでとても値段的に安くなっていた仔です。
こうなるともう行く末がないだろうからと思って買ってしまったのでしたが、これがとても面白い子で、生まれ日は亢宿、私の建門に当たる宿でした。しかも土曜で羅刹日生まれです。猫は星の数ほど飼ったけどこの子のことは今でもよく覚えています。
当時はうちにいた弟子と同じ部屋で同居していました。
まあ、猫と人間だけど二人は同期の桜のようなものでとても仲が良かったですね。
二人の関係は宿曜では近い安宿と壊宿でした。近い「安」と「壊」の関係は仲がいいものです。
羅刹日生まれだけあってかなり喧嘩が強く一時は周辺一帯のネコを制して縄張りを仕切りました。
いつだったか家の庭にどこから来たのか、見たことの無い大猫がやって来てハチと取っ組み合いしました。多分、旅の流れ猫ですね。ハチより一回りでかい。
猫にも戸別に傾向があるらしく、うちの猫たちはよそから猫が来ても大抵は温かく歓迎でしたが、この時はそうでなかった。
怪我をしてもさせてもいけないので始め引き離そうと思い、組み合っている仲に園芸用の棒を差し込みテコのようにして引き離そうとしましたが猫が大きいので棒が曲がってしまいました。
どうもハチの旗色が悪いようでしたが猫同志の喧嘩ですのでギリギリまで人間は参加せず、横から「ハチ、まけるな!」と声をかけると途端にえらく勢いづいてやたら攻勢になり、それに相手は形勢不利と見たのか吹っ飛んで逃げて行った。猫にも意地やミエのようなものがあるらしい。
ハチは人間には危害を加えませんが抱っこして気に入らないと「ウニャニャ」といってうなります。噛むとか引掻くはしません。
変な猫で夏には水たまりのなかにつかってよく涼んでいました。
喧嘩して尻尾が切れて腐ってしまっても平気な顔していましたね。
その尻尾も手術で短くしましたが、獣医も「この猫は何にも気にしない猫なんですねえ。・・・」と云って呆れて笑っていました。

最後は猫エイズになり、晩年は去勢してからおとなしくなりました。五年くらいいたかな。
亡くなる前の日に新潟から来た弟子になにやら「ニャニャ」「ニャニャ」と短く鳴いて呼びかけていたけどなんだったんだろう。その時は至って元気には見えましたが・・・・。
最後はその弟子が卒業していなくなった年に私の布団の上で眠るように丸くなって死んでいましたが、発見したときはまだ温かかった。
もう少し早く発見していたらと思うととてもハチに申し訳ない思いでした。
大きな猫で8キロもありましたから心臓に負担だったのかもね。
抱いて階段を上ると腰に来るくらい重かったのです。どこで何食べていたんだかね。家ではそんなに食べないのにデブネコでした。
いつだったか弟子が用事で外出したら500メートルほど離れた家で地域猫に餌をやる「猫寄せ」していて、そこにノラちゃんたちと並んでいたらしい。
それ聞いて「ハチの奴、恥ずかしいことするな~・・・」と肩身が狭い感じだった。

「ハチは淋しがりの猫だから一緒に寝てやってください。」と常々、同居の弟子にいわれていましたので遺体は一晩私の枕近くにおいてやって翌日、庭にうめました。
羅刹日生まれの中には割合早く亡くなる人がいますが、この猫もやはり太く短い一生でした。猫も人も星の出方は一緒ですね。そして建門の相手は短い付き合いでもその後、長く思い出に残るものです。
青空を眺めていて、なんとなくとぼけた猫型の小さな雲を見かけるとハチや死んでいった猫たちを思い出したりします。
あれから随分立ちますが猫エイズの薬はまだないようです・・・・。

早くできるといいけどね。(=^・^=)
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在りし日のハチ