金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

雑念大好き!

昨日はお護摩でした。その後は大体座禅です。5分か10分しかしません。それじゃ三昧に入れないでしょう?といわれればそれは勿論そうなのです。
只やりかた憶える程度ですがそれでも捉え方次第で我々の心と云うものに対する理解は深まります。
例えば雑念です。座禅し出した途端ああでもない。こうでもない。あれを何とかしないとと云う風に妄想がはじまります。
変な言い方ですが良く雑念や妄想に浸れるのも座禅です。
日ごろは落ち着いて雑念妄想していられないからでしょう。
やれやれやっと妄想雑念ができるという感じですかね。
私たちの心は雑念大好きです!先ずそれを認識しましょう。
でも何故?
何故なら雑念妄想と云いますがそうすることが必要と私たちの本当の心は思っていますから。そう信じているのです。
あれこれ考えないと駄目と云うのが心の言い分です。
それをやめるのが怖いくらいです。
考えたら何とかなる。悩めば何とかなると思っています。
だから考えなきゃダメ、悩まなきゃダメ。
まあ、それもないじゃないですね。ものと程度によっては。
だからこういうと変だけど本当は悩みたくて悩んでいるのですね。我々は。
その証拠に悩んでいる時、やたら他人に話しかけられたりするとイライラするのです。
なぜでしょう?
勿論、せっかく一生懸命悩んでいるのに邪魔するからですね。

こういうふうですから悩み事が先にあるというより、悩む材料が悩み事です。
でも、本当はもうほとんど役に立たないのだけど、役に立つという期待だけでいつまでも雑念妄想に浸って行くと心は病んでいきます。究極がノイローゼです。
だからちょっと雑念妄想を止めてみましょう。5分でも10分でも。
そういう練習ということでプチ座禅をやっています。
それが難しいなら心は同時に二つのことは扱えませんから、雑念のかわりにお経や真言を唱えると云う手や仏様のお姿をイメージする手もあるわけです。
これは雑念妄想の邪魔をするわけですね。
本当は5分でなく3分、1分でもいいのです。そういうことを意識してやるという体験自体が大事なのです。
そうすれば、どうもならない悩みに浸りこみそうなとき「あ、いけない。」と思ってブレーキが利かせますから。遮断できます。
悩みに陥りそうになればそのたびそうするのです。
そして観音さまにどうもならない問題はあずけましょう。何とかしてくれます。観音さまですから。
私たちの信仰はそういう脳天気な信仰です。
2時間3時間と長くすわらなくてもそんなレベルでも充分に役には立ちますよ。
良くわからないけど知りたい方はお護摩の日においでくださいね。歓迎します。