金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

自己と自我

今日から浴油開白。昨日とおとといはパーツセラピーというのを習っていました。これはヒプノセラピー(催眠療法)の先端的テクニックです。
そこでトーレナーの先生から「自我」と「自己」と云う興味深いお話を伺いました。
世間的には「自我」と「自己」は普通は同じように使われますがここでは違います。
「自我」とは本来の高次元の自分です。
最近よく「ハイヤーセルフ」とかいう存在と同じですね。
これに対して「自己」はエゴです。
面白いのはこのセラピーではエゴの強化というのをします。

「エゴ」が弱いというのは駄目なのですね。
例えばハイヤーセルフがとても発達していても、エゴが弱いとその価値を自分につなぎとめられない。
そこで肥大した自我がいわゆる教祖様やその人にとって精神的リーダーのような他人に全面的に投影されていくことになります。
結果、自己価値は低いのにそういう人への忠誠心や依存は石や鉄よりも固い人間になります。
むしろ自己価値が低いのでそう成るのですが・・・。
私なんてダメだと言いながらそこのところはとても頑固になります。
弱いエゴの補償作用的なものもあるのかもしれません。
修行の成果は自分が受け取り自分が成長する。それ以外に修行の意味はありません。

新宗教などに行くと訳わからずエゴは目の敵で、世の為、人の為、教祖様の為というのがありますが、これは健全な宗教ではなく病んだ宗教です。
勿論新宗教だからダメというのではないですよ。
既成宗教でも同じ過ちはあります。
だが「新宗教」には構造的にこれが存在していることが比較的多いようです。
教祖は絶対。でも、貴方は駄目で価値はないというパターンです。
この二つがシッカリないと、そういう教団では不届き者となって糾弾されてしまいます。生き残りません。
ちょっとでもエゴを大事にしたりすると、「そんな風だからあなたは徳がつめないのよ!」とか「君はそんなだからカルマがぬけないのだ。」というように怒られます。
甚だしきは「君は教えのためにすべてを捨てられるか?本当に大事なのはそこだ。」と迫ります。
「できないです。」などといえば罪悪感でいっぱいになります。
「できます!」といえばそこで初めて自己評価は上がります。
だから思い切っていっちゃえ。「できます!!」と。
これは酒をどんどん飲んで「エエイ、もう一本開けちゃえ!!」とか「一気飲みだ~!」と云うのと同じ。その瞬間だけのパラダイスです。
自己犠牲のヒーロー気分満喫です。
でもすぐに「ア、でも駄目、駄目。本当に大事なのは私なんかじゃなくて教団と教祖様なのだ。」と訂正。
その繰り返しで強化されていきます。
サブリーダー的な人は必死になってこれを入信した人に磨りこむのが役目です。
でもこれは大間違いです。
本当に良くしていきたいのは自己のほうです。それにくらべれば教祖様などはどうでもいいのです。「そのようなこと、ワシの知ったことではないわ!」でいいのです。
自分の方が大事に決まっています
だって自分は自分の担当者なのですよ。他に貴方の担当者はいませんから。

憶えておきたいことは自我は自己を通してしか発現できないということです。
いいかえるなら内在の仏性も個々の人があってこそ初めて発現します。
 ここのところを間違えるというのが宗教全般が陥りやすい罠ですね。
一人一人がそれぞれ「ほとけ」になる道が仏教です。
ほとけを表現するのはだれでもない。
そう、あなた自身なのです。