金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ビジョンのない望み

イソップ物語は古くより有名な寓話集として知られてきました。アイソーボスと云う人が紀元前6世紀に集めたのがその起源らしいのですが、アイソーボスがなまってイソップになったということです。日本でも古くから伊曾保物語として知られてきました。その中に「老夫婦と三つの願いごと」の話が出ています。
仙女に何でも三つ願いごとを聞いてもらえるという凄いご褒美を頂いた老夫婦は色々と欲を逞しくします。一体どんな願いが良いかとあれこれ思案するうちおなかがすいておばあさんは「おいしい大きなソーセージが食べたい。」とうっかり口にしてしまいます。すると大きなソーセージが出てきて一つ目の願いは終わります。
「バカ。なんてくだらないことを頼んだのだ。そんなソーセージはお前の鼻にひっつけてやる!」おじいさんがこう叫ぶと今度はソーセージがおばあさんの鼻に引っ付きました。「いやだよ!とっておくれ!」おばあさんが叫ぶとソーセージは即座に鼻からとれました。こうして三つの願いごとはすべて終わってしまいます。
一種の笑い話ですが、私たちにも大きな教訓が含まれています。あれこれ悩んでいるうち思わずおばあさんの口から出たのがおいしいソーセージでした。
私たちはなんだかんだ言って経験のないことはリアルに望めないのです。つまりおばあさんの本当に想像できる幸せはソーセージ止まりだったのです。
おじいさんはおばあさんのちっぽけな夢に怒っておばあさんの鼻にソーセージをつけようとします。おじいさんもリアルに望んだのはつまらぬ怒りだけでした。
ここで二つ目の願いごとが終わります。鼻にソーセージのついてしまったおばあさんはこれをとりたくて最後の願いごとをします。これで御終いです。
さあ、これからいよいよいうときに結局、つまらぬ問題が起きてそれに関わり苦慮することだけで終わってしまう。良くあるパターンです。
ふたりが思い切り欲張ってあれこれ思案した結果がこれです。
世にいうタナボタのチャンスなどは結果はこうなりがちです。宝くじがあった当ったためにかえって破産してしまった等という話を聞きますが同じパターンです。まず望むものが言葉や観念のみで明確なビジョンがないと満足な結果はないのです。
実感のないことは本気で望めないからです。望んでも上手く行きません。次にそうしたビジョンのない大きなお金や能力がもし手に入れば人は傲慢になり感情を制御できなくなります。結局そこから派生した問題の処理に追われてしまい、望んでいた幸せなどどこかにいってしまいます。形の上だけで成功するとこういうことは良くあります。まずビジョンの描ける等身大の幸せをしっかり望みましょう。