金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

集まる念

昨日、棟上げ式しなかったので何とかならないかと云うことで相談が来ました。
棟上げ式と云うのはまあ火災除けなんですね。
地鎮祭は懇意の神社さんに頼んだけど棟上げ式は依頼しわすれたのか、建設会社が来て自分らで塩捲いて終わりらしい。
これって棟上げ式なんでしょうか?「エ!それじゃ駄目なんですか?」と云うことで是非何とかと云うのですが、遠方でもあるし飯縄様の護摩にしました。
すると、なかなか火がつかない。普通はスッとつくのにこういう時は・・・、「ハハア、なんか邪魔してるな?」というのでこれは「妬みそねみの因縁」だと感じました。
この方はよそのお宮さんに地鎮祭やら何やらたのむのだけど二番手で何かあるとこっちにいってくる。
だからこちらは二番煎じだけど相手は代々お付き合いにあるお宮様と云うことだからまあ仕方ないですね。信者さんだしね。
(普通はそういうのはお断りなんですけど。)
先ず第一に宅地の土地を手放した主が泣く泣く手放しているようです。第二に隣の家で倉が経つとこちらは腹が立つというような妬みですね。
電話で護摩の後に聞いてみるとどうもやはりそのようです。
こういうのは単体だとどうと云うこともいらないけど集まると怖い。結構同じような念が引き合って集まってきます。この場合核となっているのは手放した人の念ですね。幸い残留思念と云う奴で根はもうないみたいです。集まっている奴らは根がある。つまり今、現在進行形の念なのだけど核に根っこがないからそんなに難しくないです。

霊の世界は同じ念で結ばれます。
だから地獄と云うのは同じ自分だけが良ければいいという奴らの集まり。つまり、お互いが鬼なんですね。
地獄の鬼はどういう存在、罪があって地獄にいるの?ならば、なぜ鬼は罪人をいじめても自分は罰を受けていないの?それとも閻魔様の作った仮の存在?古来そういう面白い議論もあります。

邪術にはそういう念の塊を取り込んで「敵さん」に送り込む方法もあります。

まずいことに家が建つのがうれしくて施工主は家のことを方々で自慢したというか、いいまくってしまったらしい。しかも新婚さんですからうれしいのは無理もないけどね。
悲しいかな。クダラナイ人物にとっておいしいのは人の不幸です。
他人の幸福な話なんてむかっ腹が立つ。そういう人は知らずと悪念波を出します。
でも、そういう風だからそういう人のレベルはずーっと変わりません。そこのほうのまんまなんだけど、それも全て他人のせい、社会のせいにします。
これ、幸せになりたい方は決してしてはいけないことです。
人の良いことを聞くと「あのチキショー、うまくやりやがったな。クソ~面白くもない。」と云うようなことをいう人とは付き合わないのが一番です。
お釈迦様も善友に親近せよといわれていますから。
だから他人の噂話は運をこわします。いいこと言わないのが普通だからね。
そういう場面になったらスーツと消えるのが上策です。
逃げられないなら「あ、そ。」と興味なさ気にディスペーシング(反同調行動)します。
「そんなことと云うのやめなさいよ!」とか言っても、まずそういうレベルのトモガラには判りません。
正体が判ればどうということもないので後は最後に開眼すると護摩の煙がスーッと御札に入り難なく祈り納めました。
明日は朝から京都の清浄華院様で宿曜の講義です。
ではこれからいってきます。