金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

何もしない。何もできない。

今日は少しばかり突っ込んだ話をします。わかる人には判りますが「なに言ってんだか、さっぱりわからない」という人は「ごめんなさい」です。
 
人の人生に関わって生きていくと疲れます。
本当は何の仕事でも基本的にそうですが、とりわけ他人のカルマと云う部分に関わりつづけ軌道修正したりするのは大変です。
加持祈祷とはそういうことです。

霊的部分なんかで関わると「なんだよ。お前は関係ないだろ!」と云われます。
あちら側から見ればとんだ「お邪魔虫」になるわけです。
憎まれ役です。かなり霊的にタフじゃないともちません。
私なんか肉体は決してタフではないですが、そっちはまあまあなのだと思う。もっとも私もまるきりの無傷ではすんでいません。
占い師さんで加持祈祷したいので教えてほしいという人がごくまれにいますが占いのレベルでダメージ受けちゃっているならもうそれ以上はやらない方が良い。寝ているような病人が格闘技やるようなものです。その点、占いでなく術やる人達はまあ霊的にはタフですね。普段から他人のカルマいじっていますから、でも護ってくれるものがないとこれも危険です。(でも大抵はたとえ本人が自覚していなくても同じような仕事していた指導霊がいますから助けてくれているのですけど。)
こう言っては失礼ですが占いやる人は逆に弱い人も多いですね。
そういう人は本当は鑑定するのも考え物なのですが・・・・。


 
本来、その人の人生が上手く行ってないのはその人の課題です。本当はその方が自分でなんとかしないといけない。何度生まれ変わっても気がつかなければ人生は似たようなとこで引っ掛かります。
それをこっちはいじってしまう。
そういう自覚が無ければこういう仕事はしない方がいいと思う。
宇宙の法則からすればかなり無理するわけですね。
勿論、修正がもう不可能だったり、何度、修正しても元に戻ってしまい、どうもならないことだってたくさんあります。
カルマには専門用語で「習気」(じっけ)といって元に戻ろうとする強い力がありますから。まあいってみればカルマの癖ですね。
それに修正すると言ったって本当はほんのちょっとしかできません。
いじれるところをいじるだけです。
それでも昔からの言い方だと普通はそれはしてはならないことです。
そういうことをしますと罰として目にみえない世界から、報復攻撃があります。占術の世界でもホントノコトは「天機もらすべからず」と云いますが、漏らすどころか実践しまくりなのですから相当なものが来ます。
本人が結構強くて手出しできないと家族やペットまでやられます。
私は家に動物はいるけど妻子はないからまだその点はいくらか気楽です。
変なこと言いますが、こういうのを長くやっていると「ああ、無くてよかった!」と思うことも多い。
家族いる人の場合、この仕事しているので絶えずそこを心配している人が結構いますよ。

極端に言えば普通はやってはならぬことをしてる仕事です。
でもそういう軌道修正の人間がいるのも、もっと広義の宇宙の法則のなかにはある訳です。
だから存在しているわけです。実際は自分でやっているようで実はやらされています。そういう役割です。
そこで、時々何もしないで見ていることが必要です。
勿論頼まれているご祈祷を放棄するとかではないです。
おこり得ることしかおこらないというところにたって全てを見ます。
なにごとも私が祈祷した結果というより可能性の範囲でおきることが起きているのです。いうなれば祈祷もその可能性の一部でしかありません。
だから本当は何にもしていない。何もできない自分を見つめます。そういう目がないと傲慢になったり、擦り切れてしまいます。むかしから云う行者の魔事と云う奴です。