金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

終身刑が必要では。

北海道で金野さんという結婚を控えた女性が殺されました。犯人は19歳少年、「誰でも良かった。人を殺してみたかった。」という動機らしい。
佐賀県でも以前同じようなことがありました。義憤に堪えません!
神戸の元少年Aの出版でもつくづく思いますがこういう人って、牢屋入れたり少年院に行けばマトモな人物になるのだろうか?
万一、マトモな人物になったと認められて、社会に復帰になったとして社会は被害者の身内も含めてそれを喜ばないといけないのだろうか?
こういう人の社会復帰を支援したりする人もいます。死刑にならず社会に戻るのならそういう方も必要です。ご苦労様です。
でも受刑者は刑期は終えても、当然ながら被害者は戻らず、周囲の人の心も放置されたままなのはどうなのか?

だいぶ前ですが大阪でも実母をなぐり殺して服役していた人物が出所してすぐに大阪の姉妹を殺戮。「母を殺した時の快感が忘れられない」というのが主な動機
「これが死刑にならないというのなら腹を切って裁判所前で死ぬ」。という父親の気持ちは察するに余りあります。(結果的には死刑になったようです)
この人物を仮釈放した行政の罪は天をつくほど大きいと思うのです。
しかしそれも釈放するような法律があるなら仕方ないということになりますね。行政の罪も問えません。一体被害者側のこの怒りはどこへ向ければいいのでしょう。
愉快犯で人を殺したような人でも極刑は反対だとか、支援支持するとかいう人はいますね。特に未成年だとそうです。
そういう人の中には被害者には一切言及せず、ただ少年の面態や名前が流出した程度で「未成年なのにかわいそうだ。」とか「怒りを感じる。」とだけ言う人もいます。
すべきことではないにしても私はそれが可哀そうだなどという気持ちは微塵もおこりません。
哀れと云うなら世の中に面が割れたり名前が知れることでなく、そのようなことをしでかした本人の業こそ愚かしく哀れです。
大方の宗教者の方と違い、ハッキリ申しますが私は死刑反対論者ではありません。良い事ではありませんがまだ死刑は必要です。
何故なら終身刑のないこの国ではそうとんでもない人物が矯正されないで野放しになるからです。
これはトラが町中をうろつくより危険です。トラならトラとわかりますから。
私は死刑自体には反対ではないですし、とりわけ今回の金野さん殺しのような少年は死刑にしても全くおかしくないと思います。
しかし受刑者でなく、死刑を執行する人が相当な精神的ダメージを受けるというのは問題だとは思います。そういう人の精神的ダメージは大変に大きいと聞きます。
極悪人とはいえ人を殺すのですから。まして本人は受刑者に恨みがあるわけではありませんし。
また、そこの家の子供さんや御身内なども人殺しの身内などという心無い言葉を投げかけられたらいたたまれません。
以前ルーマニアチャウシェスク大統領の共産主義政権が倒れた時、この人物を銃殺したいという志願の若者が大勢名乗りを上げました。
チャウシェスク氏はルーマニアの吸血鬼といわれるほど、国民を搾取し横政を行った人です。志願の若者たちには憎むべき国民の敵を葬りたいという義の心があるのです。悪を憎む心も大事だと思います。
(この後ルーマニア議会で永遠に共産主義を禁止する決議をしました。
共産主義などと云うのは所詮は人民の美名に隠れた最もたちの悪い王政のようなものです。

ですが死刑執行官はただのお役人の役目です。本人の賛否好悪の取沙汰はありえません。
本当は死刑に相当の人間は昔のように絶海の孤島に放り出すとかがいいでしょうが、逃げ出さないとは限らないし、しかもよその国に逃亡して又、事件でも起こしたら大変申し訳ないことです。また、そういう奴らばかりが集まってもろくなことはないでしょう。
やはり今こそ終身刑は必要だと思います。
終身刑に関しては「貴重な税金出して極悪人を一生涯飯を食わすのか。」という声もあるようですが、極悪人が出るのも、一面は我々の社会の罪でもありますからそれは妥当性があるのではないかと思いますがどうでしょうか?
関係ない?社会に生きている以上本当に関係のないことなど世の中にはありません。自分には関係ないという心こそが恐ろしい犯罪の温床です。