金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

思い込みの思い込み

心理療法やカウンセリングでは、よくクライエントのトラウマが過去の出来事に対する「思い込み」から来ているという話をすることがあります。
たとえば幼い頃、親に容姿についてひどいことを言われて自分は醜いのだと思い込んでしまった、あるいは学校の成績が悪いのでお前はバカなんだと言われてそう思い込んでしまったなどということです。
それは事実ではなく思い込みだと否定することで、この問題は解決すると考えます。
そのため、それは思い込みだったのだというところを合点がいくように持っていく方法がよくとられます。
しかしながら醜いと言われた事実、バカだ。ノロマだと云合われたことは、これは思い込みではなく、その人の体験です。
ダメなセラピストはやたら「それは全て貴方の思い込み」と云いたがりますが、思想背景から言えば良くても悪くてもすべて思い込みであることに変わりないのです。
そういう意味では人は自分と云う器を通して我々は人生を体験していきますから思い込みでないものはなにもありません。
しかしここでいう「思い込み」とは「しかし・・・それは事実ではない」という認識を持たせるために使われている言葉です。
此処で間違えやすい問題はその体験自体をしばしば思い込みのようにいってしまうことです。そうではなく、その後もその言われた意味内容を絶対の事実であると固定的に認識することこそが思い込みなのです。
体験自体は思い込みではなくあくまでその人の体験、出来事なのです。
そういってしまってはすべてが思い込みになってしまいます。
それが証拠にじゃあ思い込みじゃない私の体験はどれ?といわれればすぐに窮してしまうでしょう。
「あなたのお父さんはあなたをノロマだといった。そのためそう思い込んできましたが、事実は・・・・実はそうではありません」はおかしいのです。「そうかどうかはわかりません…」が論理的には正しいのです。
少なくともあなたがそう思ってきたということは思い込みであるといえます。しかし実際ノロマなのかどうかはまた別な問題です。
ここのところを間違えると駄目です。
「思い込み」と出来事を別にしないと「評価は存在しえない」ことになるからです。それはどうかんがえてもおかしい。
勿論、心理療法は人を楽にすることが目的で真実はどうなのかは二の次ですけどね。
極端に言えば実際にノロマでも、なんでもまずその認識をはずしてあげるのが重要なお役目なのです。
認識が次の人生を形成していくからです。
そのための起点に立つ自分を否定から解き放つ。これが必要ということでしょう。