金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

最高の法なんてない 最高の神仏なんていない

時々ですけど密教で最高の秘法はなんですか?最高の神仏はなんでしょうかと聞かれます。
最高の法には天台山門なら四箇の大法、寺門なら尊星王供や金剛童子法はたまた法華法という風に上げればいいのでしょうか?
最高の仏は大日如来とか、一字金輪や大勝金剛を上げればいいのでしょうか?
これらは「最高位」の秘法であり、本尊でありますが果たして「最高」かどうかは知りません。
多分聞いてくる人はいちばん強い仏様といちばん効く御祈祷は何?程度の意味でしょう。
要するにそういう組み合わせで祈れば一番祈願が叶うと思っているのですね。
もっと露骨に密教なら大日如来が一番なのになんでお宅は観音様で御祈祷しているのかと聞く人もいます。
あるいは如来が偉いのに明王なんて拝んでもムダとか、聖天尊が一番効き目があるから毘沙門天なんて拝んでもとか・・・・。
こういうのは一知半解と云うことです。何もわかっていないといっては失礼かもしれないですが、敢えて言います。
このような考え自体が何にもわかっていないよりナオ悪いといえましょう。
中途半端よりも知らないなら知らないでそのほうが良いのです。
何事もそうですが自分は知らないということを知っているのは賢い人です。
判っていない人は「悪人に苦しめられているので拝んでください。でも観音じゃ無理だから、摩利支天で祈ってくれるように。」などと云う注文を付けてきます。
観音様がそうしてやれというならともかく、そうでないなら勿論そんなこと一切いたしません。(だから結局しないのです)
例えば、こういう人はものの本で「密教最高の仏、大日如来」という「見出し」でも見たら、もうそう云う風に固定化して想ってしまうのでしょうね。
ある意味で学習障害?応用の効かないものの学び方です。
私に言わせれば「本当の最高」とはその人に最も適したという意味でしかありません。絵に描いたような最高なんてなににするの?
では聞きますが、最高の料理はなんですか?
フォアグラ?
銀座の名店のお寿司?
いえいえお茶漬けの方がおいしい人だってあるはず。
塩のおにぎりが最高に好きという人だってあります。
何が最高なのかは人に依ります。
食べ物なら好き嫌い。
仏法でいわば縁なのです。
それは祈る人、祈られる人双方に言えます。
言い換えるなら密教で沢山、仏があるのはその人のタイプだけあるということです。そう考えるといくらたくさんいても足らないかも。
「自分が出合った本尊が縁ある本尊。最高の仏様」そう思える人だけが本当のことを知っています。
私がまだ若いころ、亡くなった私の姉弟子が新宗教の方に誘われました。
姉弟子も霊能者で相手も霊道の開いている人でした。
お互いが口から聞いたこともない言葉を吐いて会話したのだそうです。
いわゆる異言というものでしょうかね。
それで相手の方は驚いて「貴方は本物!だったら本当の宗教やるべきよ。」ときたわけですね。
でも聖天信仰していた姉弟子は言いました。
「いってみれば聖天様は私の御父さん。観音様は御母さんです。ほかにどんな神仏、どんな良い宗教があっても、これをとりかえることはできない。
よそにどんな立派なお父さん、お母さんがいても、自分の親は取り替えられないでしょう?」
彼女は本当の信仰のあった人です。