金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

罰当たり猫?

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あ、猫が登講座で寝てる!しかも聖天様の御宝前です。
とんでもないことだ!!
天罰が下る!
これみて真っ青になる聖天信者もいるよね。きっと。
でも私、別段こういうのあまり…というより全然気にしません。
まあ見付ければしばらくしてどけるくらいです。
さすがに粗相や悪戯されちゃ困りますので。
でも猫に邪心はないからね。
それにくらべれば私の方がよっぽどこころのなか煩悩いっぱい
罪悪深重の凡夫ならぬ罪悪深重の行者ですから・・・・。
私よりも猫のほうがずっと仏様に近いと思うのです。
そうはいっても・・・・動物は不浄じゃないですか?という御方
じゃあ、なぜ聖天様はホトケ様なのに象の頭なのでしょう。
象は動物でしょう?違いますか。
「でも、それは聖天尊が行者の言うことを調教された象さんのようによく聞くから・・・」とか「象さんは大力なので聖天様の偉大なパワーを説明するため」それを象頭で表現したものとか何とか・・・いいますよね。
私に言わせればこれ全部素人ダマシです。
象で表現されているのはなんなのです?
わざわざそういう姿に作って説明するくらいならそんなのやめてダイレクトに説明だけで良いじゃないですか。
象で表現するのは象に込められている全てです。
それ以外では表現できないものです。
他に理由なんてありません。
説明できないから象の頭で表現する。曼荼羅と同じ。
口で説明しきれるなら曼荼羅はいりません。

最近の仏教のお話しはほとんど全部それ。
この御経が言っているのは実は人間の命は大事ということとか、これは人はみんな平等なんだということです・・・・ってなことの置き換えです。
子供じゃないんだからそんなことなら仏教だのお経だの持ち出して紙芝居みたいな説明しないでもズバリ言えばそのほうがよほど分ります。
たったそれだけなら仏教の必要性なんて何もないんじゃない。
かえって妙な専門用語の説明や比喩がいるだけその分、遠まわしで邪魔です。
こういうのは説法じゃなくて仏教が現代思想に必死に追随するための「実は私たちの仏教も同じこと言いたいんです!」という自己弁護でしかないのでは。それでもって仏教の側から言うことは何もなし。ああ、アホラシ!
ムシズが走るわ。
説法なんてみなさんにご理解いただいてよかったなんてもんじゃないでしょう。仏教独自の何かを新に提供するなら、そんなに安易にご理解ばかりいただけるわけないでしょうよ。
むしろ一回ばかり聞いても判らないくらいがフツーだね。
道元禅師は「今のワシの話判ったか?」ときいて、弟子が「ハイ!よくわかりました。」というと一喝くらわしたそうです。「この馬鹿者めが。そんなに簡単にわかるかっ!」
これが本物だと思う。

罰は当たらないの?と問う貴方
勿論、罰はあります。
罰は罰で当たるんですよ。しっかりと。
余所はどうだか知りませんけどこういうことではうちで罰は当たりません。
こういうのでいちいち罰が当たるなら今迄ネコも私も無事に生きちゃいません。
三十五年も付き合っている聖天さんと私。
そんなつまらない仲じゃありませんので。
ご心配なく。

昔ある権現様で聞いた話。
「ここの権現様は何でも受け入れる。成仏できない霊がついていようが、動物霊がついてようが一切関係なし。すべて受け入れて浄化する。よその霊場だと一歩も入れないよう重い霊障の方でもここだけは来られます。これがここの権現様の凄さですよ。」って説明された。フ~ン。なるほどね!此れって山のイメージですよね。ヤマは小さな穢れなんて全部浄化しちゃう。海もそうです。
神様はそうじゃなくちゃ。
聖天様だって基本は同じだと思いますよ。