金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

不浄なのは・・・

今日は新年の家内安全のためにウスシマ明王の御祈祷をさせて頂きました。
拝む前は沐浴します。
変な話で恐縮ですがトイレに行って大の方をしますとまた沐浴します。
聖天様などはそうやっていますが、ウスシマ様は「元々不浄除けの仏だからいいか・・・」ということで沐浴しないままに御祈祷しようと思ったら次第書が見つからない。
いくら探してもどうしてもでてこない。
「これは私が心得違いをしたな」と思って沐浴して上堂したらすぐに出てきました。
何度もさっきから見ている所にあったのにね。

念誦をしたらすごく気持ちがいい。
今までウスシマさんの密供まではそんなにしていなかったのですが、こんなに気持ちいいとは・・・。
知らずに知らずに三千遍越えてもまだ念誦してしまった。
私は不浄がとりわけ多いのかもしれません(笑)
でもウスシマ様から念誦の最中にメッセージを頂いたような気がしました。
「本来不浄なものなど何もない。お前たちが不浄だと思っているものもほかの生き物から見れば皆必要なものなのだ。」と・・・・。
そうですよね。
そういう意味では不浄なのは害ばかりで環境に何の益も与えない人間が作り出したプラスチックや化学製品なんかだけでしょうね。
それに比べれば糞だって動物の死骸だって落ち葉だってみんなほかの生命の栄養に還元されていくのだから。
要らないものなんてない。不浄なものなど本来ないのです。
そしてあえていうなら不浄なのは沐浴していない肉体ではなく、きっといい加減に沐浴を略そうとした私の粗末な怠け心ですね。
今日は教えられました。

ウスシマ明王は物の不浄を除き、金剛夜叉明王は心の不浄を除くなんてものの本に書いてあるけど私の感じではたぶんそういう区切りはないです。
ものの不浄を金剛夜叉明王で祈って、心の不浄をウスシマ明王で拝んだって何も問題ありません。
それから意外なのはウスシマ明王は普段毘沙門天のお宮に同居しているのですね。
やはりこの明王も夜叉出身だからかもしれませんね。
禅宗でさかんに依用する密教経典ですがここでいう首楞厳経はつぶさには大仏頂首楞厳経といわれるもので顕教の首楞厳三昧経ではありません。
ウスシマ様は色欲の強さに悩んでいたといいます。それを楞厳咒【首楞厳経に出てくる陀羅尼】で解脱したとされています。
首楞厳経ではウスシマさんは火頭金剛というのですがこれは髪の毛がの炎のように逆立っているというところから言うそうだけど、頭が燃えるほど煩悩が強かったのかもしれません。

このためか古来、楞厳咒は淫欲浄化や異性を遠ざける効果があるといわれてきました。
元三大師 良源様も女性にモテて困ったので、首楞厳定に入ってことさらに鬼神の相をあらわし女性を遠ざけたそうです。
今見るお大師様のお像の多くはおそれながらいわゆるハンサムというのにはちょっと違和感があり、厳しく怖いくらいのお顔ですが、まあ時代によって美男美女なんて観念は異なるものですから実際大モテだったのかも知れません。
モテてお困りの方は首楞厳陀羅尼をどうぞお唱え下さい。