金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

九字

九字という咒法がありますね。淵源は道教ですけど日本ナイズされて密教家、修験者、陰陽道やる人と広く使われています。
どこだかのお山で九字教えたら苦情が出たそうな。そういうのは正純な密教にはないっていうことらしいです。
まあ確かにそうかもしれません。
でも、その時の伝授した側の返答が面白い。「だってそうはいってもこれ、効くんですから。」
そういうわけでよく効くということで知られる咒法です。
我が師匠は修験者の出でしたからよくやっていました。
何の御祈祷でも最後にしておくことが多かった。私も同様です。
本来○○には無かったから問題だ!などということには一片の価値も感じません。九字だろうがイワシの頭さした柊だろうが効けばいい。
その他の思案は何もありません。
少なくとも加持祈祷という現場ではそうです。
此れには流儀があって最初九字と護身法をする流儀もあります。
以前に弟子から質問が出た。
「仏様にむかって切って良いのでしょうか?」
この質問は正純な密教には云々ではなく、九字と云えば調伏でしょう。それを本尊に切って良いのですかということでした。
これはいいのです。九字をお預けしてそのパワーを加持してもらうのですから。
大体九字は当初調伏というより息災的な存在でした。
入山の秘儀です。山には猛獣毒蛇や魔物がいるのでそれから身を護るという咒法。それがはじまり。
だから本尊に向かい切っても本尊を切りつけるわけじゃない。お経読むのと一緒。お経は本尊の方が我々より悟っているだけど本尊にあげますよね。
密教の御祈祷にかぎって言えば真言でも御経でも九字でも本尊の御宝前でしていることは全て本尊とひとつになってにしていることです。
ある密教の達者の御言葉「あんた、本尊を向こう側に飾っておいてどないするんや?」