金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

デヴィッド・ボウイさんの死に思う。

今はあんまりそういう相談はないけど、昔は「この仔が音楽で飯食おうというんです。そんなこと、とめてやってください!」なんてのがありました。
でもそういうの私は止めません。本人が相談したいという意志がある場合は別ですけど。
無謀と思うことから素晴らしいことになることだっていっぱいある。どう見てもおかしいということがとても素晴らしいことになることだってある。
勿論、音楽だけでなく、政治家でも医者でも役者でも学者でも漫画家でも・・何でも同じです。

この間デヴィッドボウイさんが亡くなりましたね。私は別にファンではないけどやはり、すごい人なので大変残念です。
彼と同世代の今はもう白髪のおじいちゃんおばあちゃんが「あの人の音楽にどんなに助けられたか!」と口々に言います。
でも初めの頃はサイケで両性具有的な彼は良い評判ばかりじゃない。
宇宙人的でさえある。
デヴィッドボウイはそういう従来のカテゴリーにまるではまらない人でしたから。要するに「変な奴」だった一面も確実にある。でもその「変」なとこがまた、最高に受けて今では全世界で惜しまれる人になったわけです。

いってみればお釈迦様だってお年寄りや病人や死人見て驚いて家飛び出すバカな若さまです。当時の家臣たち、王様、御妃も「こまったもの」とため息ものだったでしょう。つまり変な人だったわけです。
まわりのひとはみんな「そんなの当たり前でしょ。馬鹿みたい。」ということですよね。
でもお釈迦様にとっては断じて「当たり前」じゃないんです。
だから仏教ができました。
「そんなこと当たり前だ!」といっていたらなら仏教はできていません。
仏教だけじゃない何も出てこない。今日の当り前ももとをいえば昨日の奇抜やキテレツです。
当たり前という考えから離れようとする人だけがクリエーターになれます。
そういう人にとって成功するとかしないは概ね眼中にない。
お金が儲かるとか、家を持てるとか、結婚できるとか・・・は二の次。
やらずんばあるべからずという気持ちだけが原動力です。
私はそういう人の邪魔はしたいと思いません。
逆に何でもすぐに「当たり前だ!」というような人とは付き合いません。
付き合ってもつまらないですから。そういう人は。
だから私はその人がなにになりたかろうと、どんなチャレンジを考えようとも若者を止めることは基本的にしないですね。
人生の安全株をお勧めすることが私の仕事だとは思っていません。
「そんなの無責任」だと思いますか?
勿論そうですよ。私に責任はありません。
だからこそとめる権利も無いのです。