金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

呪詛と罪悪感

この前、久しぶりに呪詛返しをしてみました。
無論私じゃなくて依頼者の方の要請でしました。
この方は実は霊能者。表向きは経営など色々なことを相談する相談のお仕事ですが、同時に場合によっては霊的に処理している方らしいので、そういうのが来やすい。
形としては「ハチの式」らしい。ハチが夢でも出てきて刺される。
そして現実にも刺されるということが続いている。この一月も刺されたそうです。また夢でハチになったり…帝都物語みたいですね。
二回刺されるとまずい、命に係わるといわれるオオスズメバチ
一月にノコノコ出ているのが不思議なのでさすがに呪詛かも・・・ということでした。ちなみに私の母は三回刺されましたが大丈夫でした。人に依るのかも。
「ハチ式」は日本神話にも出てきます。オオクニヌシノミコトがこれを防ぐのに十種の神寶のうち「ハチの鰭」が使われています。鰭というのはキレのことで布ですね。中国の文献では管見の及ぶ限りでは百足、猫、黒い鶏、蛇
蠍などは使うようですがハチの式についてのものは知りません。でも多分あるかもね。広い国ですから。

で祈ってみると呪詛というほどのものではなく、働いているのは自分の念なのです。
背景にあるのは自分の罪悪感です。
名誉のために申しますがこの方は悪い事というのは別にしているわけじゃありません。
でも、仕事上やはり敵味方があるような事だと責めや相手方の気持ちを感じてしまう。これは多かれ少なかれ人間の本能です。
情感豊かな人に対して配慮ある人ほどそうなります。本当に悪いことができる自己本位な人はそんな風に思いません。
そうすると実際来ている念というのもはほんのわずかですが自分で増幅してしまいます。だから一種の自己処罰。
普通はただの罪悪感でも特にそういう特殊な能霊的力のある人だと思い切りこれを拡大する。自分で自分に呪詛を掛けるのと同じ。
これに対して自己に負い目を感じない人。
たとえば織田信長なんて比叡山はじめ諸国の神社仏閣を焼き払い、たくさん人を殺しました。
でも彼は「新しい日本を作るのだ」という使命感に燃えているからそんなことは
眼中にないのです。当然必要なこととさえ思うわけですね。
日本中の神社仏閣で呪詛するけどなかなかきかない。
これは罪悪感が一つもないから「とっかかり」が無いのです。
しばしば大悪人が簡単に調伏できないのはこれです。
「俺は善い事をしている」というその観念。たとえ間違っていてもそう思うと簡単にはかからない。
でも呪詛ならぬ「業の果」というのが来るので最後には酷い事にはなります。因果応報です。

呪詛を感じたなら「私は正しい。だから呪詛はかからない。」と口に出して言いましょう。言わないと駄目ですよ。言霊ですから。それだけでかなり避けられます。