金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

供養法をするということ

熱心な信仰のある方は自分で本尊を何とか供養したいものだと思うようです。
密教に○○供というもの、つまり「諸尊法」がある。それをしてみたいという。
聖天さんなんかも「自分で授かって浴油とかしゃいけないんですか?」と聞いてくる人もいます。「授けてくれないですか?」とかも。
「いいですよ。で、それは四度加行とか、十一面供とか華水供も全部やってそれからならの話ですけど」・・・というとまず絶句する。
要はそういう過程を経ないでということらしい。
さらにつっこんで「在家でやっちゃだめなんですか。そういうの・・・。」という人もいる。
密教行法ってそんなにもったいぶったものなの?私的には違うと思います。」なんてひとしきり演説ぶって、「だから私に教えてくれてもいいのでは…?」といった在家さんもいました。そんなたいそうなものじゃないし、越三昧耶罪なんてないというのなら、本でも見て授からずに自分でしてみたらいいでしょうにね。不思議やね。
そういう訳わかっていない奴に伝法するのも勿論、越三昧耶だからね。当然お断りです。
実はインドでは在家の密教者も多かった。でも伝授は不可欠。だから戒を受けてもらうのは最低条件で理論上は修行に進むことも可能ですけど、修験道はともかく在家で如法衣つけたりたりしているの怪しいでしょ。我が国ではどう見ても偽坊主みたいだし、
かっこ悪いです。
そんなくらいならなんで得度して本山に修行に行かないの?ということになる。
でもそれいうと私の場合は有髪なのでさしずめ偽在家かも。
マア、そういう御仁は本音いうなら「ご利益欲しいだけで坊主になりたいわけじゃないから。」でしょうね。
第一、聖天様にかぎっていうと華水供はともかく浴油は灌頂作法ですから基本的に在家のままでは無理なんです。阿闍梨であることが必要。

それに、そういう行法すると本尊が喜んでなんかスゴイご利益があると思っている人いますけど、本来はそういうものではないのです。
供養ですからさせて頂くもので、してあげたら本尊が喜んで代わりになんかご利益くれるというものじゃないんです。
供養法はザックリ言えば自分が本尊と繋がるためのツールです。
自分がつながりたいからするのでしてやるとかじゃない。これは大間違い。
つながるためにインドの接客方法の手順でおままごとみたいなことするのですが、これもその法が私たちがつながりやすいからという便法です。私たちがお客さんを呼んで接待するような寸劇をするわけですね。
なんのため?あくまでわたしたちの理解しやすいためにです。
別にお水や供物を上げないから餓えたり渇いたりするわけじゃない。
なにせ、神様仏様ですからね。
そんなこともしてもらわないと困るくらいなら私たちを助けることなんてできやしないでしょう。
だからあくまで本尊に繋がるためにこちらがさせていただく、そういうものなのです。
別に密教行法じゃなくても繋がれればいい。
お経でも真言だけどんどん唱えるのでもいいのです。
とにかくつながればいい。それだけ。
ただ、それが至ってできやすいよう組立られているのが諸尊法ではあるのですが・・・・。