金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

複数の天尊の信仰

複数の聖天尊の信仰について時々質問が来ますので私見を申し上げます。
以前、このブログで自分い縁あるところを大事にしてください。今拝んでいる聖天様で良いのですという話をしました。
この考えは基本としては変わらないです。
ただし、複数の天尊に信仰を運んでいけないのかと云えば必ずしもそういうこととは違います。
まず一番いけないのは効験を求めて次々信仰を変えることです。
あっちで叶わないならこっち。こっちも駄目ならまた別の聖天様というのはよくないですね。
別に罰が当たるからではなく、これではそもそも信仰になっていないからです。
信仰には時間も必要です。
若しまた別な聖天様を信仰をするなら以前から信仰していたお聖天様とも縁をつないだまま新しい信仰や御祈願を頼むべきです。それは前の天尊の信仰をやめるのではなしに『加えて』ご助勢いただくという意味です。
前の聖天様を『捨てて』という考えはよろしくありません。
これは聖天様だけでなく弁天様でもお稲荷様でもそうです。
神様同志は喧嘩しません。まして聖天様は一つですが縁によって複数の異なる霊場があり、分身それぞれに個性があります。これはどなたでも同じこと。
御利益が一刻も早く欲しいというお気持ちはわかりますがただ、ただあせる心のままに行動しては信仰に芯が入りません。
先ずは焦らず、信仰を移さないままに今の聖天様を信じることです。
必要があればまた別な天尊のご縁を頂いたり、別な神仏に出合ったりします。
でもそういうのも信仰している聖天さんのお導きと思います。

拙寺のことで恐縮ながらむかし、うちにきて「こちらは十一面さんなんですね・・?ウ~ン信仰はしたいんだけど・・・」という人がいました。理由を聞くと十一面観音を祀る宗教で過去にいやな思いをしたといいます。だから十一面様は・・・・ということらしい。
でもこれは十一面様のご縁だけは頂いているのです。それが因果でもって歪んで出ただけでしょう。「悪縁が切れてもあなたに観音様の縁はすでにあるのです。観音様のほうに問題があるわけではないので安心して大丈夫ですよ。」というとその方は信仰することにされて終には御得度までされました。

祀られている聖天さんより力のある行者さんにフォーカスする方もいます。
行者の法力、行力とは徳力のことです。徳がはなはだ薄い身でこう申し上げるのは笑止ですが、天部は行者の徳を慕います。
私の師匠は御祈祷では知られた人でときに驚くような効験を表わしましたが怒るということはない人でした。
先住が無くなり住職する時も心無い裏切り者の弟子や一部の人々が暗躍して妨害しましたが決して調伏などしようとはせず「聖天様がみているのだから・・・大丈夫」とだけいって笑っていました。
なので、私は修験者などで凄い荒行など経験していても。わずかなことになにかというと直ぐブチ切れてどなる瞬間湯沸かし器のような行者さんがいますがそういうのはどうのかな…?と思います。おそらく本尊というよりご自分の強い念力だけでやっているんでしょうかね。
私の理解の範疇ではないです。