金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

前世のお話

昨日は神道系の信仰の方が見えられました。
柱は近代の神道だけど、ほかに聖天様、御諏訪さまを信仰されているそうです。
余りそういうこと言わないのですが、前世は主君もしくは上の人だかににうらぎられ罪きせられてしまった方のようです。
率先して事をするとそういうことになることありますね。
まずくなると逃げるために落ち度でもないような落ち度で全部の罪着せて断罪する。
世の中にありがちです。
今生でもまた同じ傾向にあるのでご注意くださいといいました。
私はいつも自分で霊能者ではないといっています。それなのに変なこと言ってると思うかもしれませんけど、これは向こう側からメッセージとして来るので私が見ることができるわけじゃないです。
古い言い方すれば「お告げ」です。
お告げは向こう側から勝手に来るもので、こっちでとれません。
だから商売にはならない。
「じゃあ私も観て」と言われても見ることはできない。
メッセージが来たら申し上げるというだけのことです。
「はいはい、観ましょう」なんて能力はない。
ウンウンうなっても観られません。発信元のないメールはみられません
だからそういう事をどこかで聞いてきて、霊的なことを「観てください」とこられたら「私はそういうことできません。」とお断りするほかないんですね。
あしからず。
そういっているにもかかわらず「本当は判るんでしょ?本当のこと言ってくださいよ~」なんて、言ってくださる方いますが「かいかぶり」とはこのことです。
そういう人は「変なとこ」に判断してもらいに行って、霊感商法にひっかりやすいベースができてますからご用心ください。
そんなこと私がホイホイわかるなら占いなんか長年研究しちゃいません。
あえていうと「御加持」すると感応道交するのでメッセージもらっていればより判りやすいのですが、その為にお加持するということはない。
いつもくるわけじゃないもの。なにか判れば・・・いうというだけ。
マア、振り返れば霊を信じる人ほどメッセージは出やすいですね。
といったってさらに言うと本当に「わかる」といえるかどうかも怪しい。
正確に言うと判ったというより、感じることを伝えるだけの無責任極まりないものです。先ずこれ大事です。
だから、そういうのはある程度信頼関係が前提です。
拙寺は講員限定のことが多いのもその為です。
前世の話ですが真実はマア、「前世療法」みたいなものかも。
つまりそういう物語として相手に必要なメッセージを送っているのかもしれませんね。
前世を信じていればふつうに伝えるよりその方が深く入るは入る。心の中のブラックボックスに理由が着けられるからです。
意地悪な云いかたすると「わかった」と自分が「誤解」できるわけです。納得できる。
勿論そういうことを技術的にしているんじゃないんです。さっきいったようにこちらはでてきたもの感じるだけですから。
でも、この人はそういうメッセージの方が伝わりやすいという人を私の潜在意識が捕らえて相手を選びそういう作業を行っているのかも…ウ~ンここまで来ると推量というより妄想ですね。でもまあ、そういう可能性も考えられなくも無いかな・・・と少しは思う。
「だから本当かどうか検証する」ということは全くできません。第一私が「本当ですよ」と言い張る根拠も何一つ持ってない。
でもそれを敢えて言う理由はどこにあるかと言えば、形式はどうあれ内容はその人にきっと必要だと「信じる」から告げるわけですね。
「エ、それだけ?」って想う人もいるでしょうけど・・・それだけなんです。
この行動の原理が「信じる」ということなのが宗教なんですね。
そしてそのメッセージが必要というのは発信元の神仏を信じるからです。
霊の話はそういう共通理解で成り立っている。
だから占いにしても人生相談にしても有用なメッセージを聞きに来るという前提で成り立っている。祈祷だってそうです。そういう共通の理解が前提。それが正しい在りかたではないでしょうか。
だからこちらから「してあげます。」はない。
場所も相手もわきまえずに、何がどう見えようといきなり「あなたはねえ・・」なんてことはこちらから言えないわけですね。
そういう人、スピリチュアルな集まりや占い師さんの集まりなんて行くと時々いますけどね。
誰彼かまわずとっつかまえて「私、霊感あるからあんたに教えてアゲルけど・・・」なんてと言っているのみると「ひゃ~すごい人ですね。」という感じ。
勿論本当にすごい人もいると思いますよ。
でも全部が全部そうだとは限らない。
ただデモンストレーションしたい「ドシロウト」さんじゃなきゃいいんだけど・・・と思います。