金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

長者

今日は浴油明けで「殿、利息でござる」という映画を見ました。
アベサダヲさんが主演ですからコメディタッチかと思えば全くそうではない映画でした。弟子が見て結構よかったたというのでまあ。見てみよう程度でした・・・。
でも、私はこれほど恥ずかしい思いをした映画は見たことがありません。
何が恥ずかしいかといって、勿論映画が恥ずかしいのではないのです。
自分が恥ずかしいのです。
物語は仙台藩の領内のある村で、運搬の労役が全て庶民の負担になっており、村人の重大な問題でした。
これをなんとかしようと考えたあげくに「藩」にお金を貸して利息をその負担に当てるということを村のリーダーたちが考え出すのです。
用立てるのは1000両で三億円相当。
この映画では村の肝煎りや庄屋、資産家などお金と力がそれなりの人たちが苦心惨憺してお金を集めます。
孫子の代にまでそれを考えていたのは主人公の父。表面ではあこぎな金貸しだと思われていた人でした。ほかにも造り酒屋を倒産させてまでお金を作る人や10年分の奉公のお金を借りて用立てる主人公の息子など・・・・。
此処にはあるべき社会のリーダーの姿があります。
お金持ちや権力のある人はこうであるべきという姿です。
仏教で言えば「長者」がそれに当たります。
仏典に出てくるスダッタ長者や維摩吉のような人たちはお金もあり、社会的地位もあり、教養もある。そしてそれを善用する社会のリーダーです。
最近は「エライ人」というのが死語になりつつある。
昔は子供に「将来、偉い人になってね」というのは当たり前でした。今では「偉い人になりたい」などと言えば金儲けや権力を私のために乱用することでも目指すかのようにに誤解されかねません。
偉い人になろうとするのは卑しいことのようにさえ言う人もいます。
そして「偉くなんてなりたくない」とか「お金なんて興味ない」とか言っていますが、その考えの裏には権力やお金はすべて自分の為であるとしか思っていない節があるのです。何をするにもお金と力は必要です。
よいことだって当然そうです。いくらあってもたりないくらいです。
それを悪しざまに思う。これはおかしいことです。
「資本家は悪である」とか「権力者は悪である」というような日教組の偏向教育を受けた人にはそういう人がかなりいますね。勿論そういう資本家や権力者も沢山いるでしょう。どこかの知事様みたいに。
でもすべてがそうではない。また、そうであってはならない。
理想像はあるはずです。
裏を返せば偉い人と言えばすぐに栄耀栄華を極めているヤツと思うのはそれだけその人の心の中に公益性が無いのです。小人の類です。

かくいう私も偉いものでは到底ない。
日ごろ働くといっても、愚かな痴心を喜ばし無るために心を砕き、身を悶えさせ、己一身のことのみに終始する。當に獣畜に変わらぬ自分であることをこの映画は反省させてくれました。それが恥ずかしい理由です。

たまさかスズメの涙のごとき僅かな善亊を行ってはそれを誇り、己の不徳ならぬ無徳さえはじることのない浅ましさが実に身にこたえる映画でした。
この映画の主人公は実在の人ですが事の成就の三年後に死に、家族に決して人前で自分の働きを語らぬように遺言したそうです。
実に偉い。日本人の理想像です
そして同時にこれからの若い方にはどうぞお金を沢山儲け、智恵も力も兼ね備えていただきたい。そして世の中の善化に心する「偉い人」になってほしいと心から願います。