金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

当山方と本山方


この間、山王院の法頭の伊矢野先生をお呼びして、妙覚院系譜の「修験秘法」が伝授されました。
伊矢野慈峰先生は昭和60年に当時の中禅寺上人様より日光修験正統法印大先達を贈られ、日光においては修験の蘊奥を極めた人です。
日光の修験寺院、妙覚院はもともとは真言宗修験道でした。
寺院としては戦前に洪水の被害で廃棄されましたが、法の血脈はさる天台方の高僧に「承統法印」になっていただきお預けしたそうです。
血脈として伊矢野先生が正嫡の相承者です。
また伊矢野先生は修験道に関しては私の知る限り最も良く知る人物です。
もちろん私などの比ではありません。

聞けば当山方はもともと大和地方の修験道で三十六先達あり、真言、天台を説いませんでした。もとは天台系の粉河寺などもそうです。
江戸時代になって巨大になり過ぎた本山方にバランスを取るため醍醐寺に帰属せしめ十二先達となったそうです。

古くより妙覚院に伝わる伝承も真言方、天台方など色々です。
また日光には日光修験道独特のものがあります。
修験は修験で地方ごとにまとまり今ほど宗派根性の強くない時代もあったのです。それが本来は霊山を信仰対象とする修験の正しい在り方でしょう。
田舎修験などという言葉がありますが修験道は本来が田舎のもので都のものではない筈です。

三井寺の伝法も興教大師様が受けたく思われましたが、昔から比叡山にいじめられてきたせいか、かたくなになっている三井寺は断固許しませんでした。
そこで天皇に奏上し勅許を以て開壇伝法がなされたといいます。
三井の灌頂は諸山にも稀な勅会だったからです。
興教大師が諸流を研究してできたのが「伝法院流」だと聞いています。

今回、はじめて私たちの知っている三井の修験系譜とはまた別な法流に逢って詳しく教授を頂き感激しました。
特に寺門宗末の方は全員が正大先達から本山で同じ修験の秘法を受けている三僧祇位の山伏ですが私も含め再度学びの機会を得て大変に勉強になりました。元々はうちうちの勉強会でしたが、伊矢野先生との話し合いでこの法を学ぶ機会のない宗派の方も少数ながら今回は特別に学びの機会を得ました。
現代では宗派による法の独占化ともいうべき状況が進んでいます。
でも元々は法自体、そういう諸山の特色はあっても宗派の境目は必ずしも明確ではなかったようです。
今でも宝満山などにみるように諸宗合同で入峰などの行事がなされるところはあるです。
これはやはりあくまで山を中心にした考えであり、礼拝対象の山なくしては修験道は語れないということでしょう。
また、地方の修験は日蓮宗中山寺で受けてきた作法というのもありますし、過去には三井寺にも日蓮宗の方がけっこう留学していたそうです。
それは地方の修験道の文書を見ればどこでも明確です。
むかしは英彦山、白山、戸隠、羽黒などの各地に多くは三千余の坊が立ち並びそれぞれに覇を競っていた時代もあるのです。
此れが本来の形であり中央が法のすべて総括の一点集中化は私は良いと思いません。
多くの宗派でそういう傾向ですがそれは危険です。
このためにすでに修験道の奥義などが誤った形になってしまっている所もあるやに聞きます。
このような時に一点集中でよそのどこもその法が無ければは修正のしようがなくなります。
そうなれば結局は換骨奪胎で新しいものを編み出して古いものといいくるめるほかなくなるのです。
極端に言えば一人の過ち判断や法全体を誤らせて失伝を招きます。
法はその流れを絶やすことが最大の越三昧耶だと確信しております。

※ なお、この伝法会の主催者は「尊星王流本部」です。
一言ご説明申し上げします。密教占星術を志す人たちの集まりで特定の宗派には関係ありません。 宿曜道のほかに.講師を招聘して特定の門流にこだわらず密教の伝法やその他の有益な情報を会員各位に提供する勉強会などの機会を設けているものです。
(但し、伝法の場合はもちろん基礎的な行の終わっている真言、天台諸派の既成教団の僧侶が対象です。伝統的な法の再興が目的ですので、新宗教の教師には門戸を開いていませんし、また会員の募集も随時にはしていません。)
母体は密教占星術ですので一般の方は在家戒をうけて頂きませんと入会ができません。已に戒を受けている人の場合は不要です。