金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

呪詛の宮

今日はある術者の方に占いの講義を受けていましたが話がたまたま、神社の話になりました。この方はなかなかに卓見が深い先生でいつも感心させらます。祈祷はしないのですが祈願を叶える術には大変長けています。
面白いのは祈願寺は大体、行者の力によるが神社は土地のパワーなので世代交代してもご神徳に差がそれほどでないという話。
だから神社の祈願は神様とコンタクトできればよい。
なるほど神社の祈願は祈願御胸を祝詞にして奏上することがメインですね。真言念誦やら読経やらに相当する部分はないです。でもそういうシンプルさで良いのは神様そのもののパワーだからなんですね。
例えば弁才天なら弁才天で勧請したら安置したそこが霊場ですが、神社の場所は故事来歴があるので分社以外では基本的に動かすことができない。
動かせない代わりにそこには絶大なパワーがある。
つまりそれがマホロバの考えです。
また、一の宮というような所は大体、詰まらぬ祈願にはふさわしくなく、一世一代の祈願をするところ。普段は敬神崇祖の対象です。
いいかえれば神々を動かすにはそれだけの大義が必要ということかもしれないです。
私もかねてより祈願の裏で実際に動くのは日本の神霊たちだなと思っていたので大変興味がわきました。
色々な神社の面白い話が出ました。
そんななかで場所は言いませんがあるお宮では呪詛がテキメンに聞くという話。
但し、参り方ややることにやや工夫がある。
今回、色々ある中の一つとして聴いたのがある方が逆恨みの誹謗中傷で困り抜いてそのお宮で呪詛をかけたところ、相手の家族が即座にぶったおれてしまって誹謗中傷どころでなくなったという話も出ました。
大体呪詛の場合は本人が強ければ周りから順に倒れていくもの。
病人、子供、体の弱い人、お年寄りからくる。
酷いけど呪詛は掛ればそういうもの。早く倒せる人から順に来る。
まあこうなっては倒れた家族も恨むなら他人様にあらぬ誹謗中傷をした当の身内を恨むほかないですね。
ペットや庭木などの動植物から来ることもある。電化製品が連続してこわれます。
何かといえば激昂して家庭で烈しくもめるのもそれ。
私の感覚ではそこにはどうも鬼がいるらしい。
縁切りにも効き目抜群だそうです。

大体、大昔から恐ろしい場所として知られているくらいですからね、そこは。古文書でもそういうところなのだと書いてあるのを見たことがある。
でも現代でもそれほどとは・・・・知りませんでした。
表向きは普通のお宮だそうです。勿論お宮としては呪詛云々なんて一切歌ってません。当たり前のことですよね。
その事を知る人が勝手にしているのみです。お宮としては迷惑そのものでしょう。

そういえばそのお宮からそんなに遠くないところですが、そこに入れば必ず死んでしまうとか、えらい目にあうという谷があるという話も聞いています。即死ではないらしいですが村の人は知っていてなんとなく言ってはいけないようなことを言って止めてはくれるらしいのですが・・・。
くわばらくわばら。
これなどは神社の真逆でマイナスの大地パワーが満ちた場所なんでしょうね。一度ある人が行って精神がおかしくなって尋常でいられないような体験をしたそうです。
マアでも後学のために谷の方ではなくお宮の方はそのうちお参りしてみようと思います。
谷なんか行っておかしくなって死にたくはないので。
果たしてどんなところだかね・・・。

そちらはさておき、話の中で香取神社鹿島神宮は素晴らしいということだから一度是非行ってみようと思いました。
この神様は実は「国譲り神話」で当院で祀っている諏訪明神さまをやっつけた神様なので今までは御諏訪さまの手前、あまり行こうと思いませんでした。
神様のご神徳には、創生、拡大、勝負があり、当院には創生のご神徳の神様が多いということも判りました。

この後はまた別の占術家の先生と面談がありました。
その席では双身毘沙門天が守護神になっているある大手の話が出ました。なるほど老舗にふさわしい守護神です。
おそらくちゃんとした由緒ある寺院の阿闍梨の指導で信仰しているのでしょうと思ったらやはりそのようです。
天密系の有る流派の秘書など見ますと双身様は聖天様に比べると罰を受けることが少なく怖くないということにはなっています。
むしろ懈怠の行者を助けるといいます。
それに対して聖天は一個の利益を得るのに十の罰が来るとまで書いてある。当流では拝まないとまで言う。
多分拝んだのがよほど荒い聖天さんだったんですね。
私の感覚では双身毘沙門天だって聖天さんと肩を並べるくらい強烈な天尊です。懈怠の行者と云っても昔に比べれば、かなり一生懸命やってもまあ懈怠の行者もいいとこというのが実情。昔は先ず精進して妻帯せずに生活してその上の行ですからね。
最近安価な仏像も観ますが大体肝心のデザインが全く間違っている。
アサバ抄の絵か何かで見て作ったのだろうけど双身毘沙門天は牙が八本あって「八牙天王」といいます。うち日本は長くて背中までまわっている。
実は此れが重要なんですね。
安易な中国彫りでは牙八本あるお像はみたことない。
彫っている人間が密教の知識の全くない素人だから略して良いもの悪いものが判っていないんです。そういうのは仏師と言えない。
昔の仏師は必ず仏像に精通していて法印とか法眼の位にあるのが本物でした。
聖天様同様、元々一般家庭で尊像を祀ろうというのがおかしいし、素人が無闇に祀れるような代物ではないのです。
なかにはガネーシャ像を買ってきて、密かに油懸けて浴油みたいにしている人もいるようですが、そんなことするくらいなら聖天様のお寺に祈願してもらった方がいい思うけど。