金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

メールは大っ嫌い!

基本的に私はメールが苦手です。要件のみなら簡単でいいのですが。
込み入ったことはダメですね。
その理由はメールというのはニュアンスが伝わらないといいましょうか、ほとんどが相手の心の投影に任されてしまうことがあるからです。
だから事務的なことはオーケーだけど感情的な問題は絶対メールじゃだめだと思う。
たとえば「今度いっしょに映画に生きませんか?」というのに対して「ちょっと難しいです。」とだけ返事したらどうでしょう。
対面の会話では普通よくありますが、この場合、「無理」ということが最初に来ると「どうしてなんだろう?」から始まって「お前と行くなんて考えられないっていう意味?」という風にまで深読みしたり色々に拡大解釈してしまう人が出てきます。
それに対し「残念ですがその日は家の片ずけものを予定しています。月末なら空きそうです。」というなら問題ない。
行かれない理由といつならオーケーというフォローがある。理由とフォロー 「なぜなら」と「それなら」の両方が必要なんです。
でもそういう気遣いが無いと「ノー」だけが聞こえてしまう。
対面なら無理の言い方次第でどうして駄目なのか聞いたりできますが、メールで「無理」「駄目」といってくると先に進みにくい。
最近のカップルもトラブルを逢ってもじかに話さないで、「家帰ったらメールするから・・・」ですからこれだといい方向に行かないね。
疑心暗鬼になりやすい。それでお別れ。
手紙のほう、本来のメールのほうがまだずうっといい。
考えなおしたり、書き直したり投函の最後の瞬間まで練って考えますから。
メールだといくら考えて物を書いても誤解されればそれまで、直ちに戦闘状態に突入でもう双方が最初の丁寧さなど吹っ飛んでしまって即座に思うままにしか物言わないでしょう。
浅ましいことです。あさましいとは思慮が浅い意味。
メールはそうなりやすい難がある。考えなきゃいけないことは不向きです。
いいかえればメールって三密で言えば身、口、意の内の意に相当するものだけでやっている。
やはり三密一致のように顔見て(身)口調(口)で話して言いたいこと(意)を伝える。それが大事です。
だからメールで本当に大事なことは一切話しません。
メールアドレスは信者さんにもお教えしていますが事務的な連絡や要件以外はやめて頂いております。
メールなんて大、大、大っきらいです。(笑)