金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

よりまし加持

最近、霊能者の先生に霊がついてるよと言われて困っているという信者さんがいます。どこのどういう先生か知りません。
まあその先生は見えたりする能力はあるようですが、信者さんがその人のところに行ってみてもらったわけじゃない。毎週お祓いみたいなことで職場にむこうから見える。社長が信者なんですね。
でもって信者さんには霊がつているという。
お加持したりすると確かに反応がある。はっきり探りたいので霊感のある弟子に頼んで「中座」をやってもらい「よりまし加持」をしてみました。
「よりまし」を立てて第三者にもわかるような霊の解明をして見せるわけです。そうでないと判断が交錯してご本人が迷うからです。
「よりまし」って何?ああ、霊をつけてしゃべらせる霊媒さんのことです。
神道的には中座ともいう。お代さん、代人ともいいます。
私はそういう能力はないので…というより、加持付けする側が完全に霊媒状態になってはお加持する人がいなくなるのでそうするわけです。
だから伝統的には加持付けする「前座」とよりましの「中座」でするのが本式です。
普段はこういうのは私が一人でして客観的にだけ判断します。
こちらは略式です。

さて、その日はほかの寺院の人や弟子も複数いたので証明と学習的な意味もあってそんな中で「よりまし加持」が立てられました。
これはみなそこそこの行者ですので、なによりも結界になってもらう意味もあります。
よりましの口から出た霊のことはここでは個人的なことですので措いておいて、お加持終わって「よりまし」が言うには「その先生はダメ。霊を連れてきている。」とのこと。
それが証拠に前回かかってきた霊と今回かかってきた霊はまるで違う。
両者に脈絡がないので誰かがつけたのかもという判断。
それになによりその方、毎週毎週、会社に来てお祓いするのっておかしいですね。
これは「よりまし」でない私でも判る。
せいぜい毎年一回か正五九といって年の正月、5月、9月の三回とか、どんなに頻繁でもまあ、そんなものでしょ。
普通は一回でおしまい。
これって無意識にマッチポンプしています。
つまり火種を持ってきては火をつけては消している。
それでみな従業員も個人的に毎週払ってもらう。
おひとりさま毎回ウン万円ですからいい儲けです。
こういう時やらない奴がいるともう目の上の瘤です。さかんに揺さぶる。だって一人だけやらないでいたらどうよ。そんなのしなくても何ともないということになるでしょう。
その信者さんもその先生にお願いしないのでいろいろ揺さぶるのでしょうね。
なんとか信者にしたいわけです。
霊的感覚のある信者さんなで「ゆさぶり」やすい。

日蓮深密伝」という本がある。よほど日蓮宗が嫌いな人が書いたのでしょうけど、日蓮さんは妙太郎、法太郎という二匹の狐霊を操って人に難儀をかけては、それをまた払うというトリックで信者をつくっていったというお話し。
もちろん、私は日蓮さんは無欲の方でそんな悪僧とは露も思わないけど、こういう術自体は使う人はいる。
というよりその術者が無意識にそういう操作をしている人は結構います。
そういう人はお金が命。威張るの大好き。
信者がいなくなったりしたらまるで裏切者みたいにすごく怒るタイプ。
酷いのになると呪ってやるとまで言う。
信者が辞めるのは自己価値の否定という構造になっています。
自分の言うことを聞かない人は自分を否定してると思うのだね。
酷いとサイコパスという病です。わかりやすく言うと幼稚の極みです。
あくまで自分だけに価値があり、人には思いを致さないタイプ。そういう教祖様って多いですよ。意外と。
ただ霊能力だけでもっているんだね。あとは憑き物とか因縁とかの恐怖で縛っておくのが常とう手段の人たちです。

私は元来あまりほかの行者さんとか霊能者を悪く言いたくないので、そこはあまりふれないのだけど・・・・はじめは「あなたがやってもらいたいのならやってもらえばいい」というだけ。
そこからよそに引っ張られて行ってしまう人もいるけどそれはそれでいいでしょ。自分で選んだんだから。
なぜなら、それって判断材料の希薄な信者さんの袖の引っ張り合いになっちゃうのでね。嫌なんですね。私は。
逆にその方がいいと思って相談もなく勝手にしたことには責任は持ちません。
私が知ったことではない。

だから強烈な霊的なこと断定的に言われてよそ行く人もいました。
自分の知らないことで脅かされると弱いからね。誰でも。
そこで客観的にするため、事情にを知らないよりましさんを立てて判断してもらうわけです

伝統の世界では信者でもない人に、まして相手に判断を頼まれもしないのに「霊がついているとか。」いうのは禁句なのです。
そういうキャッチセールスなんかしないのが正統派だと思います。
「ああ、この人ひどいな・・・・」と思うこともあるけど言いません。一切。
「エ、それって慈悲が薄いだけじゃないんですか?!」と文句言いたい人には「そうそう。そうかもね。」と言っています。
なんのかかわりない人に「ムムッ おぬしには霊の問題があるぞよ。拙僧がとって進ぜよう。」なんていうのが慈悲だというなら私にはないね。
白蛇伝」の和尚じゃあるまいし。
判断も含めてやってもらいたいのか、どうしたいかの判断はあくまでご本人任せにしています。
それが正しいありかたですから。

それで脅かされてそういうところにいってから後で「ここはちがった!」と気が付いて、・・・・戻りたいのか後ろめたいのか、なんかあとあと色々進物とかしてくる人もいますが…仏縁を自分で切っちゃったらそう簡単にいかないんです。
形の上じゃまた信者になりゃいいのだろうくらいと思うのだろうけど縁の世界はそう簡単じゃない。
仏縁は稀有にして一眼のカメの浮木の穴にあたるがごとしといいますから・・・
「あなた様はもう拙寺とはご縁は切れておりますので、もうどうかお気遣いくださいませんようにお願い申し上げます。」と書いてはがき出しています。
去る人は追わないけど去った人がまた来るのは簡単には受け入れません。
なぜなら仏縁は大事にしてもらいませんとね。なにかの商品のお買い物の会から出たり入ったりするのとは違います。

ちなみにその霊能者の先生が意識した上の「悪徳霊能者」かどうかはわかりません。たぶんそこまでじゃないでしょう。
でも、レヴェルの低い霊が守護神になるとなんでもやるからね。
典型的なのは常識で考えられないほど、なんでも因縁が悪いとか、霊がいるとか言って頻繁にお祓いやご祈祷します。
健康食品や整体治療でもそういうこと言う人いるよね。はたから見ると「そんなにやらなきゃダメですか?そんなに悪いように思えないけど」と思う。
悪霊が絡むと周囲に巻き込まれて「それって変じゃない?」という常識的な判断を失う。そういうフィールドが展開してしまう。
靡かない場合は霊障を起こす。
そんなに毎週のように、払わなきゃいけないような大変な場所ならその場所は「立ち退いたほうがいい。」というのが素人でもわかるまともな判断だと思うのですけどね。
どう思います?皆さんは。

あ、言っておきますがこういう「よりまし加持」は信者さんだからやるわけで、外来の人には一切していませんから。
信頼関係にない人にこういうのはしちゃいけないんです。それ守らないとこの先生と一緒ですから。
念のため。