金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

涙のわけは?

女優、高畑淳子さんの息子が強姦致傷罪で逮捕、母である淳子さんが涙ながらの謝罪会見。
そんななかオーストラリアのジェーンさんという同じような被害体験を持つ女性が「高畑淳子が泣くのは変だろう!」と強い怒りをあらわにしているという。
この方、米兵に日本で乱暴されて、取り調べでも警官にも侮辱されたそうです。(取り調べで屈辱的なことを感じたりするとセカンドレイプというそうですけどこれは言葉の乱用では?) 彼女は、その米兵をアメリカ本国まで追いかけて行って追訴、裁判に勝ちました。
勇敢ですね。ここは立派です。
彼女は「涙のあとは乾く」という本を書いています。
そして、この人は一緒に怒るということが大事だといいます。
その考え自体はとても大事と思う。義憤が少ないからね。
でもそれはあくまで加害者に向けられるべきでしょう。
その親族は加害者じゃない。
ここは大事です。
子供にそんな情けないくだらない奴が出れば泣きたくなるのが親としては当たり前でしょう。
親だからこそ、そこは泣いていいのだと思う。当人のファンが泣いたりするのは不快だろうけど。
たとえば麻原彰晃の親が泣いていてもそれはかまわないと思う。
「息子が極悪人のなのに貴様の一族に泣く権利などないわ!」でしょうか?江戸時代じゃあるまいし。
「どんな悪人にも泣いてくれる親がある」というのは人間性を取り戻す第一歩でもあります。
オウム真理教の信者が泣くのは誰が見ても不快でしょうけどね・・・。。
高畑さんは別に息子を勘弁してほしくて泣いているわけじゃないでしょうし・・・・。
私が高畑さんでも泣きたくなると思う。
逆に高畑さんが泣けば泣くほど、息子は自分がしでかした罪の大きさを知ると思うけど。
もちろん、被害者のジェーンさんにはには被害者にしかわからない気持ちがあるでしょうね。
でもこの考えは近代法の考えから言えばはっきり言っておかしいね。
それって一族郎党同罪であるというのと同じ考えだもの・
まして加害者はもう大人でしょう。

彼女の本は読んだことないけど、今回の発言にはただ怒りをあらわにしたい気持ちだけしか伝わってこない。
この人、海の向こうから怒ってくるほど、こういう事件に自分の体験を投影しているんですね。
多分こういう事件があるとそのつどそうなるのかもしれません。
涙のあとは乾いている?
そういうのは乾いていないから起きる気持ちなのでは?
「私の気持ちがお前なんかにわかってたまるか!」という反論は意見をオープンにするならおかしいと思うし・・・・。
世の中に「わかってたまるか!」というなら、それだけ言ってあとは黙っているのが正しい態度だからです。
高畑淳子さんに同情が集まることで逆に被害者が悪者?になるのを恐れているのならそれは杞憂です。
色々な涙があります。
そして昔から日本は涙に理解のある国ですから。
そこは西洋文化と少し違うんですよ。
日本では涙することは必ずしも肯定とか否定、賛成とか反対じゃない。
時として離れたポジションからでもできる、いわば誰もが持つ生きることの辛さへの共感の涙もあるのです。
歌舞伎にもなっている平家物語の「青葉の笛」だってそういう話でしょ。
ただ敵を憎むのではなく、成り行きに涙する無常感が底辺にある。
でも敵は敵です。
だから高畑さんは気の毒だからといって「裕太容疑者を許せ」とか、「被害者は勘弁してやれよ」とか全然そうことじゃないんです。
西洋人のジェーンさんにはわかりにくいかもね。
過去の体験から瞋りの塊みたいになっているのは、はっきり言って勝手ですが感心はできません。
ジェーンさんはお気の毒と思うし、勇気ある人と思うけど・・・今回の彼女から得られるのはそれだけです。
私は学ぶべきものは少ないように思う。
彼女の言動から我々は一体何を学ばないといけないのでしょうか?
申し訳ないけどはっきり言って八つ当たりで幼稚ですらあると思う。
何か言うならもっと、筋道の立った理屈のあることを言うべきです。
こういう人にいたく同調する人も同じような投影が起きている人が多いでしょうね。一皮むけば理屈じゃなくそこには沸々たる怒りだけがある。
そこに触れればもう声を荒げるだけ。

でも、別に「人を恨むのはいけない」などと言うくだらないお説教をする気は毛頭ありません。怒りは簡単に癒えないよね。もちろんですとも。
でも怒りは基本的に感情であって必ずしも道理じゃない。
加害者本人にはいくら怒ってもいいでしょう。
被害者から見れば気持ちの上では死刑にしてもあきたらないかもしれない。八つ裂き、火あぶり、銃殺・・・なんでも結構。
でもあえていいます。
三者への八あたりは良くないね。
間違っています。
加害者は加害者、家族は家族だと思うけど・・・。