金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

身土不二

日蓮宗などでは比較的によく言うようですが「身土不二」という言葉があります。「我々の体と環境は実は別々ではない」という意味、同じなのだという意味です。これは古くは唐代に妙楽大師と呼ばれる湛然さんという中国僧が維摩経の解釈で書き残しています。
仏教は因果論ですからここでいう身は単なる体とか自分の肉体という存在の裏に「因果」が存在しています。
「因果応報」といえば言い古された言葉ですが、そこではどちらかというと戒め的な意味が込められて語られますので、「何か良くない結果があればそのもとは自分の行為にある」という受け止め方だけに限定されがちですが、そうではなく、良いも悪いも、そしてよいとか悪いとかの判断以外のものすべてがそうだというのが身土不二です。
もっとわかりやすく言うなら、「自分たちの住む宇宙は自分と一つ」なのだということ。たとえば「戦争の絵」があったとしてその絵の中の人物はそこから出られませんね。
お花畑にかこまれて優雅に楽しくお茶会している絵でもそうです。
だけど気にくわない絵であっても人物だけ切り抜いて、ほかの絵に張るわけにいかないので絵ごと変えないといけないということ。

でも方法はあります。これをするのはまず自分が変わらないと絵も変わらないということです。
迷彩服を着てガスマスクして武器もった姿の人物が出てはお茶会の絵にはなりません。そんなのお茶会になりません。
この着替えとはカルマを変えないといけないということです。
カルマはどうやって変えるのでしょう?行為の積み重ねしかないけど、まず先に意識が変わらないといけません。
宇宙ごと変える。それが大事です。戦争やお茶会の場面だけじゃなくあなたの宇宙は無限に存在します。
絵ごと変えないとあなたはお茶会に出られません。
戦場で紅茶をすするかたちになってしまいます。
だから・・・・祈願がかなわないというならば、それもそういうことなんですね。
おわかりでしょうか。