金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

心を用いずとも・・・



ある大変に大事な方からの紹介で結構、霊問題のきついの抱えた方
が来る予定でした。
「ワ~これきついなあ・・・大変だ」っていう感じ。これは本物ですね。
霊の問題は本物でも偽物(精神疾患)でも時間がたっていると完治はむつかしいものです。
なぜかって?
「薫習」と言って身について、もう実はパーソナリティになっているからです。
特に子供時代からズーッとなんていうのは,大概もうどうもならんというのが本音です。
霊的感覚が鋭いならリフレーミングして逆になんか活かす道があるなら考えたほうがいいというケースもある。
「飯縄様これどうしましょうか?」って聴くともなく思ったら・・・・珍しく即座に「心を用いずともよい。その者は来ぬ。」といわれました。
それから1週間近くたちましたが今のとこ・・・連絡はありません。
ちょっとほっとしたような…残念のような・・・妙な気持ちです。

こういう話すると日ごろ霊能者ではないなどというくせにと思うでしょうけど…そう滅多ないんですよ。こういうの。
皆様のご要望には逐一なんて応えられない。だから霊能者にはなれないね。
それも全て向こうからくるだけ。
こちらから霊視とか霊聴ができるんではないんです。でも修法すれば普段よりはその最中はづっと鋭敏になる。加持感応するからです。でもこれも私の能力じゃなく、本尊のを借りるだけ。
世間でいう霊能者と加持感応は仕組みが違う。
だから、前世見ろとか、家出人の居場所とか、相手が私のことどう思っているかとか見てくださいって言われたって見られません。そこは拝んでみて、もしなんか出ればお伝えする程度。それも出れば の話です。

例えば早く走ることのできる人は多いでしょう。
ちょっとした霊感のある人も多いですね。
でも走るの早くてもオリンピックに出られる人は多くないよね。
私も素人の短距離程度でしかないということ。