金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

独鈷よ。ありがとう。

右が長年使った独鈷です。
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私が在家22歳で密教修行始めたころは何もないままで出発。白衣は一枚冬も夏も同じ夏物です。
修法もプリンのカップ並べて六器にしたり、柄香炉も水ひしゃくの先に額かけを針金で巻いて作りました。蓋付きのお湯のみが遮水器と塗香器です。
「一面器」と言われる密教法具一式は当時でも20万円以上しました。私なんかにはとても買えないしろものでした。でも、私にしてみれば、こういう工夫はなんとなく心ウキウキで楽しいものでした。
いまでも 「あ、これ護摩に使える」とか、そんなこと雑貨観ていて思うことがよくありますね。
こんな私でも、幸い妙見様のおかげで密教占星術ができましたから、相談に来る人は結構いたので誕生日がくれば27歳になる年の一月にはこんなありさまで開堂しました。
そのおり、御本尊になるお不動様の尊像は母がお金出してくれて、一面器は師匠がお祝いでくださいました。あまりにみっともないと思ったのかも。
もう、うれしくって!
そのころからずっと、ずっと拝んできた独鈷です。もうツルツルになりました。
この間2日ばかり、独鈷が行方不明でその間に使っていた新しいものと比べてみました。写真がそれ。
お世話になりましたね!!独鈷さん。
この独鈷を見るつど、師匠の御恩がしのばれます。
私は経験から最初から何もなくたって仏道修行は大丈夫だと思っています。
道元禅師も「学道の人は貧たるべし」と言っておられますしね。
食べられないとか生活もままならないというのではちょっと困るけど修行者の出発は余計なお金がないくらでがいい。
その方が修行になる。お金つくりも大事な修行ですから。
この独鈷はそういう独鈷。これからも使い続けたいものです。 
感謝、合掌。