そして印を結ぶやり方は日本でできたんですね。
日本ではこのほか兵法九字というのもある。もちろん、密教や修験の亜流です。
兵法的な考えでは「臨める兵、闘う者、皆、陣列ねて前に在り」と読ましたり、あるいは「皆、陣裂れて・・・」と読ましたりもします。
もっともこれは兵法でこれは修験でとかは明確にあるわけじゃない。
ただ、兵法の考えからは建前的に攻撃魔術と考えてもいいですね。
でも密教や修験で使う場合はどうでしょう。
これは邪を払うという意味合いだと考えます。
そう考えてみれば仏に対しても人に対しても切っていいんですね。
仏の邪を払うというのはおかしいけど、道場にたまった邪気を切る。
祈願の庭には色々なものがきますからね。おいていく人もいるし。
仏前で切っているけど実は切っているのは自分の心に対して切っている。
自分の心の邪が切れないなら人の邪も道場の邪もきれません。
だから人に対しても仏に対しても自分の邪を切ると思って切るのです。
自分に対して一番切らなあかんもんです。
さっき兵法も建前的には…といいました。実は本質は同じだと思う。
自分に迷いがあれば戦いはうまくいかないですから。
だから、自分の迷いを切るものです。
外じゃないんです。
うちに向かって切る。
攻撃魔術じゃないんですね。
勿論攻撃的に使うこともできるけど、それもこれも自分の邪気が切れればいらぬこと。自分お邪気が切れれば自然と切れる。
自分の邪気が切れないのに鬼のような顔して大声上げて何になりましょうか?
ただのこけ脅しです。
老練なキツネや狸なら「そんなんじゃ応えないぜ。オイ、もっと気張ってやってみろよ。」といいます。
微音で唱えたって効くのが本当です。