金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

魔去らぬは魔を好む故



外部の方の霊障は一切扱わぬと決めてだいぶ楽な気になりました。
実際面倒なんです。通り一遍のことではいったんよくなってもまたなりましたというのが多い。
実は面倒なのは凴霊よりご本人の本心なのです。
それについては飯縄様より「魔去らぬは魔を好む故」というお言葉がありました。
霊障のある人はどこかで魔と仲良くしたいのですね。
心理学的に言えば利得があるということなのだろうけど、魔は実は味方だと思っているから離れられない。
「魔が去れば我一人と思う故な・・・」と言われました。
そうか…寂しいんだね。独りぼっちが嫌なのかも。
だから魔と闘っているふりしてるけど、当事者はしばしば傍観者だね。
本気じゃない。
関ヶ原の毛利勢みたい。
いってみれば家康討伐に替えて悪魔退散の旗印立てた陣だけ張っている。
さらには小早川のように最後に勝つ方に附こうと思っている節すらある。
負ける方にアイディンティティを感じたくないんでしょうね。
そうなると疑似霊媒みたいになって色々口切って言う事も起きるわけです。
この原理はたぶん癲癇発作と同じで比較的おきやすいものですから、そういうので大きくなった教団もある。
別に悪口じゃなくそういう社会的な役割がそれはそれであったのでしょう。
しかし、凴霊を利用する魔より抜け目なくあざとい心がそこにはあります。
キリストの悪魔祓いは実に簡単でした。「サタンよ。退け」
別にキリストでなくても本人が心底これが言えれば魔は去るのです。
飯縄様のお言葉を考えればなるほど孤独感の強い人は霊の障りなど起こしやすいのかも・・・。
本当の怨霊とか宿業よるものを別にすれば孤独の解決こそが霊障の解決には最短距離ですね。