そういうわけでうちのお弟子さんは居士つまり在家の修行者であって僧侶じゃない。
初めから僧侶は無理です。沙弥という段階があるんです。
僧侶になりたい人も見習い段階があるんですね。
三千仏礼拝をしてもらうけど一日最低100仏五体投地で拝んでいただく。
そうすると一か月で三千仏。
五体投地っていうのは立ったり座ったりする礼拝の拝み方です。
だけど足腰の悪い人は坐礼も認めています。
つまり正座して上半身だけで礼拝する方法ですね。
無理して体おかしくしても意味ないですから。
これが終わると護身法の伝授。
それから法華懺法や例時作法といった声明を伴う法義。
法華経の全巻読誦。来年は声明が課題ですね。
最終的には理趣分の顕教作法を伝授します。
密教やりたい人もここまではいっしょです。
密教やるなら10万遍の念誦をクリアしないと駄目です。
勿論こもってやってもらいます。新聞、テレビもラジオももちろんスマホも禁止。余計な戯言も禁止。本も関係ないものは駄目です。勿論、コーヒーも煙草もない。そして外部遮断!修行以外一切なにもしないのです。
これ修行の当り前です。
「仕事が気になるのでちょっとだけスマホを」・・・も駄目。仕事が気になるなら行はやめてお帰りください・・です。
本来、親が死んでも知らせないくらいのものですから。
破れば無条件で修行中止です。
三井寺でも行中タバコ吸っただけでも加行中断です。
厳しいですか?でも当たり前なんですよ。
こんなので驚いているなら密教なんて絶対にやめておく方がいいね。
・・・だからやらないでいいんです。やれない人はしてはいけないものです。
人を選び,器を選ぶのが密教、本来がだれでもやるものではないものです。
其れって差別的?そうですね。でも上とかしたじゃなくむかない人はいると思う。
人を選ぶという意味ではそういう風に思うかも。
でも他にも行はありますから。たとえば得度者には本山の山岳修行や行事、講習はなるべく積極的に出ていただきます。
でも実際そういうのもその人のやりたい範囲でやればいいと思っています。
別にそれ以上やる気ないならそのままです。
人によってどの辺までやるかは様々ですからやりたいとこまでやればいい。自分の好きでいいんです。
基本が五戒の受持者は在家ですし。基本的には私自身も在家と思っています。
これは叡山のある大徳も、皆基本的に今の日本では在家と言われていました。
昔の弟子は私もうるさく言ってビシバシ修行させたから、中にはもう涙流しながらやった人だって多い。
きつくてたいていの人が泣くほどでした。
そういう厳格主義でやった。
密教まで行かないで脱落した人も多い。
でも、だからこそ残った人はなんとかなったんですね。
私はそう思っております。でももうそういうのはいらないように思います。
それはそれでよかったのだけど、今は仏教はライフワークでいい。
というよりそれ以外ないんじゃないかと思う。
第一自分のことだしね。自分でいいと思う塩梅でいい。
日本の修行はたいてい軍隊調だけど・・・あれって実際、親切すぎというかおせっかいです。
いくらうるさく言ってもやる気ないのは無理だと思いますね。
修行ってたたいたり、うるさく言う以前に、そういうやる気のない人ははずれていただくのが本当でしょう。
だから、あまりこうるさく言わないのです。
逆に上ってこようとしないならいつまでもそのままでいいと思う。
聞かれないものはあえては何も申しません。
これはこれである意味もっと厳しいかもね。
どこかで修行にいって「何も教えてくれなかった。」という人に「じゃあ、あなたいろいろ聞いたの?」「え、別にこっちからは・・・何も・・」という人。
そういう方は問題外です。
自分で目指したのですから私がやかましく言うのは必要ないでしょう。
それが本当でしょう。
ただしこれって甘いわけじゃないんですよ。
妥協とかは一切ありません。
たとえば課題の終わらない人に、しょうがないから例外的に次のレベルを教えるとか、御祈祷を許可するというのはありえないですね。
時々、弟子希望の人が来ます。
電話で入門したいとか、あれこれ聞いてくる。まずこれが伝統的な世界ではまずお話にならない。
そういうのは直に時間聞いて訪ねてくるとこからやっとはじまりです。
電話で聞くだけで理解しようなんていうことでは相手していられません。
そういうお手軽なものはないと知ってほしい。
そういう人の中には本当は仏道修行じゃなくて、教えてもらいたいんじゃなくて、ただ認めもらいたい人とかも来る。
祈祷とか秘法だけ教えてもらいたいとかいう方も来る。
でも、そういう人はよそで得度して基礎終わって講習に来ればいいんです。
うちの弟子になどならなくていいんです。
一から始めるならこっちも責任あるし、よそならそこは責任ないですから。
だから「俺はわかっているからそこはいいんだ」という方や部分的に聞きかじりがしたいだけなら、よそで修行して一人前になってからお客様で来ればいいと思うんです。私ども灌頂も終えて阿闍梨さんで来る。
それは全くオーケーですし、こっちも気が楽。
私の弟子になるのは一番の遠回りである意味、損です。