金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

戒は宗の肝心

前にも言いましたが、来年からは宿曜道的にはあまり良い年じゃないのでいろいろ考えています。
今、方鑑や数秘術を習っているチャズ先生にも相談してみました。
宿曜道で具体的にどう悪いかというと「新しいことのスタート」がいけないのです。
単に私がよくないだけでなく、当然お弟子さんにも影響します。
ここが問題なんですね。
だから、前にお弟子はとらない話をしました。
弟子というのは重要な存在ですから、これは弟子にとっても師にとってもお互いに新しいスタートということと考えています。
それが結果まずいことになったり、後が続かないのでは申し訳ありません。
そこが一番心配なところです。
一方、インド占星術では来年はそんなに悪くないそうです。インド占星術的には今の流れで行くのがいいらしい。

それでお弟子さんは来年からはとらない方針と言ったのですが、「それでも来年の秋までは金星の流れですから交流ということがテーマです。とりわけ熱心な人の場合は考えてみたらどうです」と言われて、その場合を少し考えてみることにしました。
こういう問題は宿曜道とインド占星術どっちが正しいという問題ではなく、たぶん両方出ますね。
宿曜は宿曜で現象は出るし、インド占星術はインド占星術で現象が出ると思います。

とりわけ行運としてはインド占星術は極めて鮮明な占いだと思います。
なんの占星術でもその得手とするところとそうでないところがありますが、とりわけ、インドの場合はダシャという単位の性格がよく出ます。
さて実際どうするか。まだおぼろげなんですが・・・
勿論、講員になりたい人の受戒には話が別です。変化なく、今後とも継続していく方針です。
問題なのは弟子希望の方についてです。
実は受戒自体は同じでそれを弟子として宗派に登録するか、しないだけの違いなのです。
ちなみにわが宗では五戒を受けるのが得度で沙弥のくらいにあり、そののち十善戒を受ければ正式な僧となります。
宗規の上で私が授けられるのは五戒のみです。

まあ、でも正式に宗派に属したい。つまり先行き、十善戒を受持して僧侶になりたいとまでいうなら、必ずしも私の弟子じゃなくても弟子の弟子でもそこはいけると思うし・・・もっとも何よりもお互いがそれでオーケーならの話ですが。
 
どちらにしても拙寺の基本的ありかたとしてはこのまま、まず居士仏教ということをメインに考えて在家の方々中心にアピールしていこうと思います。
ここは拙寺の基本方針ですので運気がいかにあれ変わりません。
布教においてなによりも受戒こそは天台法門の肝心と「天台学概論」を書かれた碩学、福田堯穎猊下も言われていますし、そのお言葉に従い、うちは受戒が必須ですからここは崩せません。
拙寺は祈祷にしても「受戒して講員じゃないと・・・」とか、こうるさい設定を故意に設けていますけど、実はその目的は正規の仏教徒を養成したいということなのです。
いつも言うように死んでからお世話になる仏教でなく、ライフワークとしての仏教の提案です。

在家であっても仏教徒であるには戒は絶対に必要ですから。
なぜ戒がそんなに大事なのか。
こと「大乗戒」というものには戒体の力があるとされています。
一度受持すれば、過去にどんな悪い業があろうとも、将来にどんなに破っても生々流転の果てに紆余曲折を得てついには必ず成道できるとされているのです。
発心すればさだんで至るとはこのことです。
だから大事なんです。
とりたてて仏道修行しなくても仏戒は受ける価値が十分にあります。