金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

酢屋の桃水

猫のブリーダーさんとお話しましたが、いろいろ大変なようです。種類にもよるのですがうまく出産できない子もいて三時間おきに夜中でも見に行かないといけないとか、うまく育たない子もいるし、ブリーダー同士のひどい嫌がらせや誹謗中傷の話も聞きました。
先行き死ぬとわかっている病気のニャンコを平気で売ったり、かけ合わせてはいけない。つまりそれをすると猫が絶対に長生きしないのを知っててやる人とかもいるらしい・・・・。
かわいいニャンコを育てている人の世界にも黒い部分はあるのですね。
どこでも娑婆ですのでそれは当たり前だけど。(お寺でもないわけじゃないですね)
まあ、猫に憩いを求める顧客のひとりとしてはなんとも夢の醒める話です。
いずこも同じ秋の夕暮れ・・・・

私も昔ちょっとブリーディングに挑戦したことあるんですがうまくいきませんでした。
でも改めて聞くほどに思ったよりはるかに大変でやらなくてよかった。
ずぼらな私にゃとっても無理。
今は話を伺うほどに甘く考えていて真にすみませんでしたという気持ちです。これはこれでひとつの道です。
何でも心がけ次第で「道」ですね。
 いってみればこれは「猫道」です。

江戸初期の禅僧で「酢屋の桃水」という偉大な禅僧がいました。
この方とっても偉い方なのにお寺を飛び出した乞食をやったり、しまいには残飯で酢を作って酢屋になってしまった。
師匠が乞食になってしまって行方不明。
それでお弟子さんが方々探してやっと迎えに来ても「この俺の食っているものが食えたら帰ってやる。」と言って腐った飯を出したそうです。弟子は食べれなかった。
其れでもうお寺に帰らず「酢屋の桃水」。
この話、ちょっとかっこいいな!と思いました。偉いお坊さんが最後は一介の市井の「酢屋のおやじ」でおわり。
これって逆に本当に悟った人の行いですね。
形骸化した寺院仏教へも強烈な一撃でもある。
勿論偉いお坊さんでも皆が皆そんなことしなくていいと思うけど、これも一つのあり方かも。
全然、偉くも悟りもない私もマネして、どこか最後は祈願も相談もしないで「猫屋の羽田」でもって、のどかな猫ブリーダーでもしようかなどと思っていた節があります。
勿論、私の場合は桃水禅師の悟りのふるまいとは全く違って「ただの逃避」以外の何物でもないですね。
そこはわかっています。
というのは師匠が年取ったら祈祷は人生の最後までしないほうがよい。あとは相談や占いだけしたらいいといっていたからです。
いや、実際しんどかったんですね。
浴油期間はお堂に入ると5時間くらいは拝んでましたから。
祈願には絶対に手を抜かなかった人です。
それで天蓋護摩で火消三昧の方が効かなくなったら潮時だから、そうなったらもう祈祷はやめろと言われていました。
護摩の火を術で抑えて燃えた炭を上から触るんですね。
でもそういう師匠は最後まで拝んで亡くなった人です。
先行き、わたしもそうなりそうです。猫屋の羽田にはどうもなれそうにない。
それもまたよし。
師匠は70歳で元気なうちに逝きました。
永く病床にあって死ぬより行者はむしろその方がいいようにも思います。