金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

薫習


わが一門には「不動尊華水供」というのがありました。
まあ、内容は不動法に色々入っているんですけど、ここまでやってやっと九字の伝授があった。
元々はたぶん東密の慧印法流の不動法なんだろうと思うけど大幅に変形して台密スタイルにしてある。石鎚山の修験なので真言宗前神寺別当ですからその影響があるのでしょう。
それで息災、増益、調伏、敬愛、鉤召、延命と何でも祈れるようになっている。
はじめのころは実際、病気でも商売でも悪魔退散でもなんでもこれで祈ったものです。自分でいうのもおこがましいのですがそれなりによく霊験がありました。
ご祈祷がお不動様でなく十一面様になったのはずっと後の話です。
お不動様は初心の行者でも入りやすいといいます。
だから台密は加行はお不動様。
忿怒というのは初行のものでも比較的にわかりやすい感情ですから三昧に入りやすい。
悟りの心は難しくても正義の心はわかりますから。
初心から最奥義まで修験道ではお不動様です。
お不動様は拝むほどに実に奥が深いみほとけです。
私が白戸師匠のところで修行したときはまだお寺には護摩堂がなく、比叡山でしているような普通の修行体系ではなかったですね。
十八道の次にこれを習った。それから理趣分やって、護摩の代わりに十一面法やってやっと最後に護摩堂がたったので修験の天蓋護摩で修行しました。
これが終わった時点で人の祈祷する許可が出た。
最後の護摩以外は最低100回やって次でした。聖天様の祈願をやる都合で十一面供は1000遍でしたね。でも、十一面様を拝めばたいていの天部はオーケーです。
諸天善神の総本地。だからお顔が十一面あるのだと習った。
聖天供に至っては得度して18年後に習いました。


これは終わるまでずっと後で大変時間かかりました。こういうのもポンポンと教えてくれるわけじゃない。一年に一つくらいです。
それも「今度の何日に○○教えるよ」と言われて「あ、その日は都合が悪いんで・・すみません」とかいうと「ああ、そう」でもうそれで当分の間その話はなし。
代替え日の話なんか一切ないです。
そういうものだと思ってやってきた。
弟子だから教えてもらって当たり前という感覚は全く通用しません。


だから看板を許されるまで六年間かかった。その間に人型や封じ祈祷、道切やらそういう諸作法を習った。五体加持なんかは教えてもらいません。体験的に自然に覚えた。「もう、できるだろう。私にやってみなさい。」といわれました。
それでもう人の拝みが出来てから比叡山三井寺に加行に行きました。
そういう訳で全て昔の行者が一対一で弟子に伝えるような感じで習いました。
でも、ほとんどが祈祷のためのトレーニングで法事のやり方や声明などは最低限だけしか習いません。

お葬式次第などは三井寺に加行にいって帰りに初めて現長吏様に教えていただいた。

そんな中でどこでかで聞いて、是非、「不動尊華水供」を教えてほしいという方があったので教えたことがあったらしい。
でも、しばらくたって「拝んだけど思うようなご利益がない」と文句言ってきたらしいのです。

「ろくに行をしてもいないのに、法が効かないのを人のせいにするんだね。わからないね。」といっていた。
だから「こういう法があるけど、これって効きますかね?」なんて聞いたら「効かせばいい。」といわれたものです。

もっとも山ほどやってもやっても法が効かない人がいる。
それははじめから法を信じないで「効かない」と思ってやっているか、「菩提心がない」かのどっちかだといわれた。
逆に言えば菩提心もって法を信じれば効くのです。
それが「法」です。
だから霊能力や超能力のような「能力」なのではない。
そういうのはどんなにすごくても伝えられないでしょう。

なんでも薫習が大事です。
法も「習気」が付くまでやらなきゃ効くわけがないです。
空手で手刀打ち習っても、初めから瓦割れませんね。
でも形は間違っているんじゃないのです。
何でも修練ですね。