金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

師匠がしてくれた煩悩即菩提の話

密教では煩悩即菩提というけど…煩悩が菩提ならなぜ修行するの?
私も若いうちそんな疑問を師匠にぶつけてみたことがあります。
「煩悩即菩提は菩提の側に立ってみてはじめて言えること。煩悩の側からはそれはいえない。」といわれました。
「とすると煩悩即菩提がわかるために修行するのですか?」
「それもある。」
「まあ、煩悩のただ中にいては煩悩はつきつめれば皆苦しみになるだけだ。菩提の世界から時々煩悩の世界に遊びに行くからこそ楽しいのだよ。」
「離れているからこそ楽しいということなのか?」なんとなくわかったような、わからないような話でしたが「煩悩の側からは煩悩即菩提じゃないんだ。」というのは私なりに納得でした。
しかしながら、困ったことに若いうちというのはしばしば全体の中でそれをとらえずにそれだけに特化して反応してしまうのです。
「とすると、煩悩が楽しめるように菩提を求めるのか…じゃあ菩提をもとめるのも結局は煩悩じゃないんでしょうか?」と理屈を言うと、
「そう、だからね、煩悩の最たるものが仏道修行だよ」と笑って言われました。
私が自分の師匠を良い師匠だったと思うのは、理屈だけでものをいう面倒な若者のどんな下らぬ質問にも怒りもせずに一々丁寧に答えてくれたことです。
生来愚かな私が今日幾らかでもマシにあるとしたら、それはまるきり師匠のおかげです。


でも・・・恥ずかしながら、まだまだ「煩悩即菩提」の岸には至らぬ私です。