金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

聖天様の煩悩

昨日おみえになった方に聖天様はじめ天部は煩悩を残した方なんですよねと聞かれました。
この方のおっやる通り、もちろんそうなのですが、でも煩悩を残しているのであって煩悩を絶てないのではありません。
天部として欲願に対するためにわざわざ煩悩を表にしているということです。
それはひとえに我々を導くためです。
考えてみれば人間一代の修行でさえ覚者になる人もいます。
聖天様は1000年以上も仏道にいらっしやるのですから修行が足らないわけはないのです。少なくとも我々の比較ではないです。
幼稚園の先生は子供と一緒にお遊戯やひらがなのお勉強をしますが、別に幼稚園児並みなのではないですよね。
幼い園児と距離を置かないためにそうしているにすぎません。

なのに世の中には天部信仰をして「天部のような程度の低いものは」とせせら笑う僧侶や仏教者もいるようですが、こういう人こそ何もわからず表面だけで物をとらえるまさに「せせら笑うべき存在」ではないのかと思うのです。
天台の相承に仏に悪ありや否やという設問があります。
こたえは「あり」です。
如来はただ性として一抹の悪を残すがゆえに悪趣の救済に縁づくことができるのです。