金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

師匠は承認欲求の道具じゃありません。

日光修験道の伊矢野先生は20代から知っています。同じ年の生まれです。40年近い付き合いの畏友ですね。
法には大変厳しい人で、わたしの知ってる一番古いお弟子の行者さんは毘沙門法をやりたかったんだけど、それがどうしてもやりたいなら…と、前行として孔雀明王真言、大咒ですよ。100万遍となえることを課せられたそうです。
で、やったというからすごい。
やる方もすごいけど、そんな偉いこと平気で命じられるものまたすごいと思う。
今の普通の初心行者は冗談だと思うかもね。
その伊矢野先生が「うちを厳しいとか言ってるけど、羽田君とこなんていったらもっと地獄だよ。うちはあそこに比べれば天国だよ」と言っていたんですね。
まあ、私はそこまでの行はさせないけど礼儀作法とか口の利き方にはとても口うるさかったから。
怒鳴って2,3時間以上文句をいうなんてことも多かった。
最近はそんなのは怒られてる意識だけがおもてだって本当に伝わるべきものが伝わらないかなと思ってかなり控えてはいますが。
まあ、いい年をして怒鳴りまくるのはみっともないし、自分の体にも良くないしね。一応ですがやめました。

伊矢野先生はざっくばらんで人好きで誰とでも楽しくお酒も飲むし、歌も歌えば踊りも踊るてな感じの方、威張ったことは一切言わない人です。行自慢もしない。
でも行については平気でそういうエライことをサラリという。
タイプが違うんでしょう。
私も甘くはないつもりでいたけど、でも行や法に関しては伊矢野師のあり方の方がより正しかったんだなと思う。

これからは孔雀明王100万遍はともかく、厳しくいきたいと思う。
本当の師とは弟子がそんなこと命じたら…どう思うかなんてまったく考えないんです。それがいい師匠です。
いい意味でそんなのかまわないんです。相手がどう思おうと関係なし。
 そうでないと「殻」は破れない。ヒヨコにすらなれない。
本当を言えば師匠というのは気遣いいっぱいです。
でも師匠のすべき本当の気遣いはいかに弟子を成長させるかにこそあるべきものです。
いかに上手に物を教えるかではないし、まして機嫌取りじゃ断じてない。
沢山教えるのがいいわけでもない。
醍醐派の祖である理源大師様は40歳まで無量寿法のみ修されていたそうです。身に染むべき話だと思います。
沢山いろいろ教えたって人間の根が腐っていれば外道となって世間に害を流すのが関の山。

宗派や所属寺院は「帰属欲求」満たすもんじゃないし、ましてや
師匠は「承認欲求」を満たす道具じゃないんです。
やたら優しいだけのものわかりのいい師匠なら承認欲求満たす道具にしかならないね。
師に言われたらつべこべ言わないで受ける。
文句言わずえらいことをやること。それはその人を作ります。
日光修験道にある行法をやりたくて行ったら、それではなく先にこれをやれと別な行を呈示されたんで止めたという人がいるという話を聞きました。やれやれ、ま、自由だけど…
師匠につくということは本当はそんなもんじゃないですね。
その方には悪いけどお話にならない。

そういう意味で受け取れそうな人にしか課題を出さないというのもいい手だと思う。無理そうなお方はお客様でいい。
それはちょうど平和な時代のお殿様の剣術稽古みたいなもの。
一応やって見せてまねさせて何度でも懇切丁寧に教える。
弟子とは名ばかりのお客様です。
マネ事ができたら、拍手して「殿、お見事なお腕前にございますぞ!」でおしまい。「ウム!大儀じゃ。」とまでは言わないものの…そんな考えの弟子もいるかもね。
後はきれいに書いた金襴の巻物かなんかあげておしまい。
そういう扱いを日ごろされてれば「伝授」に印刷物が配布されないとか、書き写すんですか?ハア?という人間もいるだろう。
説明不足だとか平気でぬかす奴もいる。
この前も自分の「聞き違い」を私の「指示が不明瞭だったから」という弟子がいたので、「ではなぜ質問しないのか?」と言ったら、「そういう知識がないもので」ときた。
知識じゃなく、常識がないんですね。ついでに言えば傲慢だから、質問もしないんだね。
ありていに言えば「はっきり連絡するのがあなたの義務なのになぜ私から聞かきゃいけないの?」という横着な態度です。
「以後は当分出てこないでよろしい!」と明瞭に指示しました。

まあ、そういうことを全く経験しないで得度して、チャラチャラ,衣に袈裟つけてお坊さんごっこ、お経なんか習ったって冥土の土産がいいとこです。
昔おったまげたのは若いころの話、初心の弟子仲間で初日に僧正クラスのつける緋の輪袈裟つけてきたバカな女がいた。(笑)
この女、御経習っていても「こんなのは修行じゃないわ。うちの主人は大峰山で修行して大変なのよ。」と抜かした。よく教わっている師匠の前でいうわ。
まあ、冥土の土産でいいという人はそれでいいんです。
そういうことも笑っておしまい。
それもまたいいでしょう。

でも本当の師匠とはどんなものか知りたければ、チベット仏教のカギュー派の祖ミラレパ尊者の伝記をいっぺん読んでみるといいですね。
おおえまさのり」さんの「ミラレパ」といういい本があります。
今は売っていないかもしれませんが。
優しいだけの師匠なんて師匠じゃなく、教育者でもないと思います。
調べたらアマゾンで売ってました。ロングセラーですね。