金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

戦争中の話は絶対禁止の決まり

ある信者さんがお年寄りのケアのお仕事をしています。お年寄りのケアと言っても寝たきりとかではなくて、一緒にお話しをしたりお遊戯もできるお年寄りのようです。
そこで戦争中の話がしばしば出る。戦争そのもののお話ではなくその時代の話。いわゆる戦争中のお話です。
でもそれはタブーなんですって。
聞くとたいがい、よそのホームでも戦争中の話題は一切いけないと言うらしいのです。
でも話の流れでそういう話になったりして盛り上がる。そうすると「戦争の話はだめって言ったでしょ!」と先輩から叱られるそうです。
それで、流れでそうなったら割ってでもやめさせるのが正しいんだってことらしい。
戦争の話になったら「駄目駄目、戦争中の話は駄目ですよ~」とか言うのかね。あほらし!

勿論、人さまざまで悲しい思い出も沢山あるからそういう時代の話をするのは難しい部分もある。二度と思い出したくない人もいるでしょうね。
そこはわかります。
でも頭から戦争時代の話は戦争そのものでなくても一切絶対に駄目だという。状況がどうあれ駄目。
全面禁止。
タブー。
彼女はそれが納得できない。
私もその話を聞いて腑に落ちませんでした。

戦争世代の人には戦争時代だって大事な思い出じゃないのかな。
それをすべて封印するというのは乱暴です。
苦しいことも時間がたてば大事な思い出になることだってたくさんあるのにどんな話でも駄目というのはおかしいね。
それは戦争中だってそういうところはあると思います。
だから戦友会に行くお年寄りだっているでしょう。

人間はね。楽しいことの共有だけがしたいわけじゃない。
同世代の苦しみや悲しみだってシェアすることによって癒されることは多いと思う。違いますか?
それを頭ごなしに全面的に封じる。
これ、まるきり臭いものには蓋だね。
私はこれはあきらかに一種の「人権蹂躙」だと思います。
どこのバカがそんなこと決めたんだろうね。
私の武術の先生も戦争体験者。
でもいっていました。
「戦争中だから青春がなかったなんて嘘だ。青春はどんなだって青春なんだ。」って。
「そういう青春」の話をするのは絶対に悪なんですか?
平和な時代の青春以外は口にしちゃいけないの?

これを「人権蹂躙」と言わずしてなんというのでしょう。
日本のお国はつくづく問題さえ起きなければいいという、どこまでも臭いものには蓋をしていく体質なんだね。
バカな国だ。
千人の人が望むことでも一人が文句出れば止めなのですか?
誰かがあるホームで「戦争の話はやめてえ!!」と言ってパニックになってそれでどこでも一切全面禁止とか、…ありそうだなと思います。
現代社会においてはどんな局面でもマイノリティが受容される受け皿が必要です。
しかしそれを汎用することは必ずしも必要ではない。

だいぶ以前、郵便局でいろいろ便利なチラシがさしてある「書類さし」がありますよね。
それがある日いったらない!
どこかの足の悪い方がその「書類さし」にぶつかって苦情が出たんですっすって。
「こんなところにそんなものおくからだ!」とその人だか家族だかがどなりこんだらしい。
それで撤去。ひっこめたんですって。
ピッタリと壁にくっつけておいてあったのにね。
どうしたらぶかるのそんなもの?足が悪くたって外を歩くくらいの人なら自分が気を付ければ済むことじゃないの?
なら一切、部屋には何も置けないよね。実際その直後はなにもかもなかった。ガランドウです。
この話、私は文句言ったという足の悪い方には悪いけど全然同情できないですね。
「また元通りに出しておいてほしいという客もいたと言っておくようにね。」と局で言いました。(いつの間にか元のとおりになっていましたけどね。よかった!)
万事こんな感じだね。日本って。
ただひたすら苦情や文句を怖れて戦々恐々とする国。
逆に言えば問題はほっておいてもまっさきに誰の責任なんだ?ということばかりを言う国。
そこで、なんでも問題起こればすぐに決まり作って「決まり」に仕事させる国。
全て判断は決まりでしてしまう。
頭で判断とか臨機応変ってありえないの?