金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

本当にお困りの方の占いは拝見いたしません。

占いを見てくださいという人の中には、運気がどうこう以前の問題が駄目!という人もいます。
そういう人は極めて困っているから一縷の思いで占いに頼るのだろうけど、あにはからんや困っている真っ只中であれも駄目、此れも駄目な時は、占いもだめなんです。
これ残酷だけど真実です。
そういってしまうとも身も蓋もないけど
なぜならそういう人って自分を変えないでそのまま運気云々だけで行こうとしますからね。
そこをしきりなおさないとそのままじゃどうもならない人がたくさんいます。つまり本人の考え方、あり方がダメ。
術はつかえるにも前提が必要。
たとえば失業しちゃって職業もないのに金運アップもへちまもない。それなのに占いでお金使う?
じゃあどうするのか。まず勤める。
この当たり前がわからない方がいる。
運をもらうにはお膳立てがいるんですね。
でもそれ言うと占ってもらいたいだけで、「あんた、そこの考えは違いますよ。」なんて余計なことは言われたくない!!という御仁もいらっしゃるので面倒なんですね。
そういう人はどうするか。
お断りするんですね。私の場合は。

たとえ、みても助けにはならないから無駄です。
悪くするとその人の害になる。占いという形で自分の問題をカバーしてしまうこともあるから。
お金が一円もないんだけど…占い見てほしいって言われると、お寺だから只にしないけない?
そんなこと絶対に思いません。「見てほしいならお金作っていらっしゃい。」です。ひどいですか?
私もともと冷酷なんですみません。

でも、もっともそういう私も無料鑑定にする人がないわけじゃない。
困っている理由に寄るんです。
今たまたま困っている。全くお金ないけど、状況が悪いので困っているだけという人です。
人員整理のあおりでクビとか、病気で動けないとか、家が被災して焼けちゃったとか、泥棒に逢った、部下に会社のお金持ち逃げされたとかいう自然災害、人災のいわゆる災難のケース。本人自体がダメじゃなければ占いはオーケー。
一銭もなくてもそういう人なら占いしても役に立つのでオーケーと思います。
人間自体がダメで困っているのは別。そういうのは占いじゃ救えませんから。

占いして良くなりそうな人には、お金はおちついたらまた後日持ってきてくださいという。
でも後日、持ってこれそうにない人、この人は無理という人は拝見いたしません。
だから「先に一万円持ってきてください。」というわけ。
お金がないのは私のせいじゃないですから。

でもね、例えば相談料一万円がないという人がその一万円作ることでそこに実に沢山の学びがあるんですよ。お金作るのも立派な人間修行です。
「黙って500円ためてみろという言葉」がある。今のじゃないです。昔の500円ですよ。
今の500万円くらいかしら。何も言わずに金作る。そこに無限の学びがある。
だからもし、その人が余分な一万円が自分で作れたら逆にうちにはもう来ないでいいくらいなんですね。
なぜならその人は開運の第一歩を自らで示したんです。
私に言わせればその方が占いなんか見るよりその方によほど有益なことだと思うのです。