金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

陰陽師のお話

陰陽師というのはあまり世間に出てこないけど今でも陰陽道は伝承している方はいるんですね。
勿論、宮廷陰陽師はいないけど。

江戸時代に陰陽の寮の暦にずれがあるのがわかってそれで権威失墜した。それで外れていたのはわかるけど、当たっていたのは余計わからないですね。
そこへもってきて幕府の諸大天文方の渋川春海天文学的にはより精緻な方法を確立してしまった。このころまでは占いと天文学は大体同根なのでそれで天文が駄目なら占いも駄目だろうということになる。
昔、江戸時代に大坂の方で当山方の山伏が暦本を販売したというので陰陽師から奉行所へ訴えがあった。暦は陰陽道のもの。山伏が云々するものじゃないと。
すると山伏も「仏教にも暦道はあるのだ。」という。伝持の八祖、一行禅師の「看命一掌金」を例に挙げると、「嫌々、何を言うか。あれは一行禅師の真作に非ず」と陰陽師側もやりかえす。
専門的に見ても内容はなかなかの争いです。奉行所はどちらかというと「まあまあ、争わんでも良いではないか」という感じ。わかんないからね。
こういうことがあったんですね。
私も民俗学者のS先生から「いざなぎ流をおじいさんがやっていたならやるといいですよ。紹介しますよ。」と言われたけど、高知でしょ。遠くて。
ちなみに私は「いざなぎ流」は何も知りません。本でしっているけど習ってはいません。「本当は知っているんでしょ?」って買い被りがある人もいましたがほんとにその方面はゼロ、無知です。
なにせ爺さんは私が小学生のころ死んじゃった。ただ爺さんの家にはなんだか長い白紙を切ったものがいっぱい下がっていた。今思うと多分御幣かなんかだったんでしょうね。

まあ、でも今でも陰陽道のなんだの言うと良く喧嘩してケチつけていますね。
基本的にケチつけるほうが小物でしょう。私はそう思っています。
なんでもそう思う。
見ていると大体が本物は一々そんなものケチつけないし、ニセモノやダミーがあるのはそれなりに意味があるからほっておくみたい。より本物の価値が上がると思うからでしょう。
という訳で何でもかんでも批判的なところや人物には私は近づかないし、そういう人とは基本的に交際しないことにしています。
たまにくるけど、自分だけがホンモンという人には「イヤハヤ、なんとも先生はすごい方なんですね~!こりゃあ驚きました。勉強になりました。」で終わり。
それでおかえりはこちら。
そんなもの習いたいとも思わない。
そういう人にかかわると同じ側に巻き込まれたりして面倒はごめんですから。

昔「術数」を学びたいのである先生を紹介していただいた。
そうしてその先生とお会いしたら一番初めに「羽田さん、○○さんってよくテレビに出ている占い師の先生いますよね。ああいう人をどう思います?」
失礼ながら、そのテレビによく出る方というのは術においてはおそらくその先生とは到底比べ物にならないような人なのですが・・・
「そうですね。いいんじゃないんですか。あれはあれで頼りにしている人も多いようですから。別段、私は悪いとも思いませんが。」
私、人のやることはどうでもいいんでそう答えると「よかった。なら私と同じ考えです。」とニッコリされた。
あんまりこやかましいやつとは付き合いたいたくないんでしょう。
その気持ちよく、わかります。
私の知る陰陽師のО先生もすごい人だけどよそのことは何にも言わないね。多分なんの興味もないんでしょう。
そういうの小気味いいです。
何でも術はそうだと思う。自分はすごいぞ。俺だけが本物だという人には一切近づきません。
そういうのは言わないのが本当でしょう。
実際そうならなおのこと。
ある心理療法の先生、この人はかなりの方で大学で心理学教える教授ですが、なんでも生霊が取り付いていて…ということで何でも動きが取れなくなるほど大変だったそうですが、ある陰陽師さんを紹介されて訪たところ、スッキリとってもらったそうです。直に本人から聞きました。
だとするとこの方はそういうことのできる術者なのですね。たぶん。
本も出ているようですが誰だか知らないけど酷評していましたけどね。
でもね。所詮、本なんかで全貌や実力はつかめません。
前にこの方の拝んだものが雑誌の付録であったけどやはりなんかパワー出ているよねっていう感じでしたね。
お会いしたことはないですが・・・。