それを他の天部にあげてどうなるものか・・・と・
別に日蓮宗の方持つわけではないけど、それは法華最第一の思想があるからなんでしょうね。
だから誰にあげても諸天悉くが随喜するという考えなのでしょう。
前に日蓮宗の御経本に出ている施餓鬼法を見たらやはり施食の陀羅尼が書いてありました。
天台方ではそういうあらゆる諸天の供養に陀羅尼品をあげるという使い方はあまり聞かないけど、陀羅尼品自体はあげなくはない。
わが師匠もわりあいと陀羅尼品を使う咒法を伝承していました。
但し天台流のあげ方としては五番神咒のように神咒のみをあげるのではなく経文全部をあげます.
もっともあげ方に日蓮宗は独特の言い回しをするらしいのですが。
陀羅尼品は神力品や一つ前の観世音菩薩普門品とともに法華経の流通分の代表的な経文であり、現世利益を説く御経として珍重されます。
夜叉部ですからあまりグダグダ言わず「よっしゃあ」といって頼みを聞いてくれる感じ。
「何をグダグダ言ってるんだ!」とこうなる。
まあ、でもそんなこともないでしょう。
七面山のふもとの滝もそうだけど日蓮宗でも弁天さんはあるようですから。
もしそのお寺が、天部の加護を受けているにしてはあまり良いことがないというならあげるお経の問題ではないでしょう。ひょっとしたら失礼ながら供養つまり拝むことが足らないということではないでしょうか。