金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

興味本位の人生

40年間近く、尊天にお仕えしてともに歩んできて思うこと。
ああ、聖天尊にお仕えすることがそれは私の定めだったんだなと今思います。
よく私のような下根劣恵の人間、もとより寺の人間でもない、どこかの寺を継いだわけでもない人間が今日まで僧侶で生き残れたと思います。
それが定めだったからこそでしょう。
でも、思うに逆に言えば今日までいまのところ私が生き残った最大の理由はバカだったからかもしれません。
バカというのは好奇心、興味本位で始めた仏道修行。そういうバカです。
人生設計なんてなし。勤め人にならないで生きていきたいというだけ。
何か面白いことして生きていきたい。
はじめから結婚も考えません。家族がなくてもかまわない。
生まれてきたからは人と違った人生でありたい。
わたしは子供のころから好きだった「西遊記」のような何かを求める旅の世界と自分の人生がかぶっていたんですね。
そこから他の人の見ない角度でものをみたらどうだろう?
きっと面白いだろう…奇をてらった愚か者。それが私。
徹頭徹尾、興味本位!ほかには一物もなし。これをバカと言わずしてなんというべきか?
私は自分が興味本位の人間なので興味本位をとがめません。
たとえば「息子がロック歌手になるんだというので止めてください。」とか「夫が脱サラしてラーメン屋するというの止めてください」と言われてもとめられません。
こういう私ですからとめる権利がない。
ただ本人が来たなら覚悟のほどは問いますけど。
うちは旧国鉄系の下請け事業してたけどそれ継ぐの蹴って坊主になった人間です。
私自身、その件で親父からも周囲からもこんな固い仕事蹴って本当に困ったバカだと思われていました。
でも国鉄が解体、JRになってわが社もあえなく滅亡です。
本当に手固い仕事なんてないよ。人生は予測不可能。
もし周囲の勧めのまま、私が「会社に頼る人生」を送っていたら多分、路頭に迷ったでしょうね。そのまま楽できそうだからやる。渡りに船だから選択する。
そういう人生の選択は間違いだと思う。
だから本気ならやってみたら?
ただし、どうせ持つなら半端ではなく、気違いじみたくらいに興味本位になってほしい。そうでないと興味本位は何も役に立ちません。覚悟がないなら害になるだけ。身を亡ぼすだけ。
勝手なことやるんだから「死して屍拾うもの無し」の覚悟は必要。

だから強烈な興味くらい大事なものはないのです。「○○きちがい」(言葉悪くてスミマセン)大いに結構!
とりわけ仏道修行は「興味」以外の目的で近づくものではないとさえ思う。
なぜなら悟れなくても、己の愚劣さにあきれても、挫折しようが、何だろうが…そういう確たる目的ではなく尽きせぬ興味あればこそ前に進めるのです。興味という素晴らしい愚かさの前には失敗などないのです。
興味とは到達地点ではなくそれを行うことこそが目的だからです。
だから興味本位こそ大事なんです。
私はそう思います。バカなので。
スイマセン。